2007年08月29日

ひふみ神示 第十七巻


「二日んの巻」第二帖


天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。


その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。


何故ならば、自らなる段階秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。


しかし、同一線上における横の交流は、可能である。それはちょうど、地上にぁおける各民族がお互いに交流し、融和し得るのと同様である。



すべて分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。そこに、分類と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。

一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。


分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘(宇宙)の中に秘められている。



ゝについては一なるも、〇においては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。


一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。


神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。


しかし、大歓喜にまします太神のゝは、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。


※ 私はこの「大歓喜にまします太神のゝ」を、天の川銀河の中心と捉えますが、皆さんはどう思われるでしょうか。



失礼ながら、以下を省略致します。

ニックネーム 龍 at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://269g.jp/tb/5014382
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。