「二日んの巻」第二帖
天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。
その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。
何故ならば、自らなる段階秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。
しかし、同一線上における横の交流は、可能である。それはちょうど、地上にぁおける各民族がお互いに交流し、融和し得るのと同様である。
すべて分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。そこに、分類と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。
一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。
分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘(宇宙)の中に秘められている。
ゝについては一なるも、〇においては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。
一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。
神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。
しかし、大歓喜にまします太神のゝは、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。
※ 私はこの「大歓喜にまします太神のゝ」を、天の川銀河の中心と捉えますが、皆さんはどう思われるでしょうか。
失礼ながら、以下を省略致します。
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