『長州の天皇征伐』より
………伊藤博文の中に、次の突出した十項目の要素がつぶさに目に入る。
*長州藩には、徳川期約三百の藩のどれとも異なるいくつかの特徴が存在するが、その最たるものは異常に発達した「忍者」体制であろう。この忍者には、鹿島昇説によれば、上忍、中忍、下忍と、三階級あり。伊藤は、「下忍」階級出身とされる(『明治維新の生贄』)。
*吉田松陰の松下村塾門下の一人。
*長崎グラバー邸の下僕。
*藩命により、幕末、英国ロンドンに留学。しかし、このロンドン行きは、グラバーの手配による、とされる。
*つまり、グラバー(長崎)←サッスーン財団(上海)←ロスチャイルド(英国)の線で、伊藤は、イルミナティ世界権力が日本に配置したエージェント(手代)にすぎない。そこにこそ、伊藤の権力の源泉、根源があった。
*慶応二年(1866年)十二月二十五日、孝明天皇弑逆事件の実行隊長、とされる。
*孝明天皇の皇太子、睦仁親王が即位して新天皇に、そしてこの睦仁天皇を弑逆。
*慶応三年(1867年)秋、長州から、大室寅之祐を連れて来て、天皇にスリ替える、この二つの事件の実行隊長格。
*伊藤の上に、桂小五郎。この桂小五郎は、長州の忍者体制では、中忍とされている。この桂小五郎が、明治になって、木戸孝允と改名した動機は分からない。しかし、いずれにしても、この上官の桂=木戸も、西南戦争中に病重く、やがて死去すると、そのあと、伊藤は長州閥の頂点に立ち、前出のごとく大久保も片付けると、長州のみならず、かつての長州藩下忍階級の伊藤は、日本の頂点に立つことになる。
*長州藩は、南北朝時代、南朝の皇子光良親王の血統、大室家の存在を奇貨(きか=利用すれば意外の利を得る見込みのある物事や機会)とし、これを利用して、一大バクチに打って出た。
こんなことは、長州以外の藩には夢想すら出来ない。上忍中忍下忍の忍者体制を中核とする異様な長州藩によってのみ、それがあり得たのである。
※ 夢を見て、駆け足で天下を思考した竜馬もまた、ロスチャイルドの紐つきグラバーと出会っていた。
竜馬は「太政奉還」後に暗殺された。竜馬を狙う新選組ではなく、「維新」を共に成そうとする味方によって。
利用出来る者は何でも利用し、秘密を守るためには誰によらず暗殺された。それが実態であった。
伊藤博文、この悪鬼の魔手は、私たちがふりほどくしかない。
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