「ねじれ古代史」P50〜
『先代旧事本紀』にニギハヤヒはイカルガの峰に降りたとありますが、これも出雲が三輪山の地に降り立ったと書けるはずもなく、わざと大阪側の斑鳩の地とごまかしたのです。
※ ニギハヤヒ命様は叔父の天津日子根命を訪ねられた後、大和に入られ三輪山の麓に居を構えられたと思います。
飛騨の口碑を伝えた家では、都が大和へ移されたので安心してか、その辺のところを伝えていません。
当然ニギハヤヒは、大和の一等地である三輪山に住まいを構えている、豪族の所へ婿にいかれたのです。今ではニギハヤヒの御陵がわからなくなっていますが、ある天孫(子孫)の古老は「三輪山の社(大神神社)の少し上方にあったと聞いている」と言っています。
話が長くなりましたが、崇神天皇は、かつてニギハヤヒの住んでおられた住まいのところに社を建てて、ニギハヤヒをヌナキイリ姫に祭らせたのです。生前住んでおられた所に祀るのは古神道の基本的な姿です。
〇 ヌナキイリ姫の衰弱の原因
『日本書紀』には天照大神の御霊代は「八咫鏡」とありますが、ニギハヤヒの御霊代があるはずなのに何ら触れていません。これはおかしなことです。何故、姫は衰弱したのでしょうか。衰弱するほどの何があったのでしょうか?
ニギハヤヒの御霊代が何者かによって盗まれ、取り返しのつかない大変な事になったのでないかと思います。
……………………
〇 不可解な天理市の大和神社
ヌナキイリ姫の後に大物主神を祀った大田田根子が大国主の子孫とバレてしまった今、ニギハヤヒの御霊代を盗んだ者は誰か?誰もが怪しいと疑うのが、天皇を騙して三輪の社に入りこんだ大田田根子です。
さすがに図々しい大田田根子も、何とかいい訳をしなければならなくなったと思います。そして苦肉の策として社を造り、ニギハヤヒの御霊代が「ここにあります」ということにして、つじつまを合わせて、その場しのぎのいい訳をしたと思われます。
その後、遠慮がいらなくなった頃、ニギハヤヒをここ(大和神社)に崇神天皇が祀られたと云わんばかりに、わざと現在の低地に移してバカにしたのではないかと思います。
先祖を人々の住んでいる所より低い、汚水が流れてくる低地に祀ることはおかしなことです。
さらに後になって、ニギハヤヒを大国魂神の尊称で祀っていたのを、大国魂神とは大国主であると、ここでもすり替えて今日に至っていると思われます。
『日本書紀』に崇神天皇が「長尾市を以って倭の大国魂神を祀る祭主とされた」とありますが、出雲のウソの正当化と思われます。大和神社の由緒には「崇神天皇がヌナキイリ姫を祭主として祭らせた。祭神は日本大国魂大神・八千戈大神・御年大神です」とありますが、乗っ取った出雲教が自分に都合の云いように作ったと思われます。…………
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