2007年09月30日

プレアデス 人類と惑星の物語


『プレアデス 人類と惑星の物語』
著者 アモラ・クァン・イン

1998年12月10日 第1刷2001年9月10日 第2刷

〇 1996年1月に書かれた、バーバラ・ハンド・クロウの序文


アモラ・クァン・インは『プレアデス 人類と惑星の物語』のはじめの部分で、金星、火星、マルデック(破壊されて小惑星帯となった、かつて火星と木星のあいだにあった惑星)、そして地球の進化の歴史の物語をあなた自信の物語として読むよう求めています。


私は彼女から、この時間を押し流すような鮮やかでファンタスティックな旅の序文を書いてほしいとの依頼を受けました。正直いってこの真に驚異的な旅にそなえる手助けをできる人というのは、これが非常に進歩的なプレアデスの情報であるがゆえに、私もほかに誰も思い浮かびませんでした。


※ プレアデスの情報がすべて理解される人、それは完璧という言葉を付け加えるならば、地上には本当に少ないのでしょう。


しかし、地上以外にも本当のところは少ないのではないでしょうか。何故ならば、多次元存在が地球の歴史、太陽系の歴史、人類や生き物の歴史をプレアデス人のように充分理解していると考えるのは、宇宙の大きさ多次元世界の文字どおりの多様さを理解したならば、その答えが一定導き出されるからです。それは、ひふみ神示にも著されてあります。


ある人にはこの物語は、突拍子もないことであり、UFOだ宇宙基地だと関心が行く人にも理解されるとは考えられない現実があります。しかし、この時代の光を利用すれば、魂の記憶が蘇る可能性は充分にあり、可能性がある限り情報を伝えていくことが求められています。


本屋さんの棚にはスピリチュアル関係図書などは区分されて置かれていますが、本来人間の意識行動を加味すれば、コミック本の横に週刊誌のコーナーに、駅の売店にブックマートの棚に、プレアデスの情報本が置かれた方が良いのです。


いつの間にか皆が知らない内に本が消えてしまう、スピリチュアル関係図書にしてしまうようでは、やはりいけないと思うのです。難しい内容であっても、たとえば絵本のような気軽さで頁を開くものであり、文字どおり物語として読んで見ることが、まずは大事なのでしょう。




私の著書である『プレアデス 銀河の夜明け』を読まれた人は、クァン・インと私が他の人々と同様にプレアデスの光の使者たちであることを知っているでしょう。事実あなた続きを読む
ニックネーム 龍 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月29日

追伸


読まれる人のためにも、飛騨天孫族の日本におそらく一つしかない個人のブログですので、一区切りをつけておく方が良いと考えました。


長いと疲れることになります。


本当はもっと論証しても良かったでしょうが、霊性が開かれたなら自然に理解されると考え、また他の課題のブログでも関係ある視点が出てきた時に、再びその視点から飛騨天孫族の物語を書くことが出来ます。



私は歴史を表したいのではなく、祖先を現したいのです。私は神道を書きたいのではなく、祖先が神隠しにあったことを書き残しておきたいのです。


そしてこの姿勢は、これからも私の変わらない在り方です。


このブログで出会った方々と、「何から話そうか5」の方でも、つながりが持てたら嬉しく思います。


ひふみ神示を学ばれる方々も、ぜひ飛騨天孫族が実在した視点で、ひふみの解読に取り組まれますように、お願いを致します。
ニックネーム 龍 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月27日

訂正


「母を守る里」のなかで

「JRの桜井駅」は

近鉄電車「桜井駅」に訂正します。


桧原神社にはいくつかの公共乗り物からの行き方がありますが、バス停「箸中」に行く方法を書きました。
ニックネーム 龍 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月26日

守るべきもののために


しかし、もうそんな人たちを判断している時間はありません。アセンションのためではなく、愛する守るべきものために、私たち自身の方向を定めるときです。


私はアモラも言うように、アセンションするか残るかを自分で決められたら良いと考えます。選択出来るまでになれたら良いと考えます。


まず考えてしまうのは、やはり子供たちですが、その時までに彼らに何を自分が教え残せるだろうかと思います。彼らに時間がもっと欲しいと思いますが、彼らはちゃんと計算して地球に来たならば……と、さまざまに思いが重なります。


守るべきものは本当に何なのでしょうか?


外伝は何から話そうか5に変わります。飛騨高天原天孫族のブログは終了します。長い間ありがとうございました。
ニックネーム 龍 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

見せられていること


ある人は見てはいなくとも、見ている人には見せられているという理解が必要なのだと思います。何故なら、貴方の内面が見せているからです。


嫌な人ばかりが自分の周りに集まると、嫌な現実ばかりに腹を立てていると、そんな世の中に成っているのなら、貴方がそれを創造しているのだと気づいてください。


貴方の波長がそれら嫌なものにチューニングされて、同調しているからです。


貴方の目がそれを捉え、脳でいつものように判断を下し、自分はいつもと変わらない時間を過ごしているのです。


つまり貴方は、頭では望んではいない現実にいちいち同調して、それらを拾い集めてばかりいることになります。


そして貴方は、評論家の口ぶりで世の中を判断し、周りの現実に積極的に関わろうとはせずに、高みを味わおうとしています。


実際に私は、本当に完璧さばかりを追求しているスピリチュアリストに出会いましたが、彼女の支配欲に閉口しました。


私のような人間は「アンチ勢力」であり、「人の悩みに関わろうとしない人」と烙印を押されました。実際に私は関わりたくはなかったのですが、彼女のスピリチュアルな完璧さからそれは許されないことだったようです。


そんな危険な人からは離れるべきです。彼女の悩みは彼女が創り上げたものであり、自分の大切な時間をそれに使うことなど私には出来ませんでした。


ネガティブ・エゴのスピリチュアルの基準が「いい人」なら、私はとっくの昔にそんな人間を止めました。だいたい誰にも納得されるようなスピリチュアル的な作文をブログで延々と書いて、何がいったい楽しいのでしょうか?


私は自分のブログを一人が理解してくれたということを、ひふみ神示の教えから「千人が知ってくれた」と解釈する(そう、単純馬鹿と言われようが)理解する人間です。


作文で底層四次元が浄化されるなんて考えてはいず、世の中がそんなに単純には仕上がってなどいないと考える人間です。


人間の浄化というものが作文で果たされるならば、私はそもそも闇を暴いてはいません。人間は醜いけれど、弱いだらしない存在だけれど、(そう、自分自身がそうだけれど)やると決めたら最後まではやれるんだ、そう思っています。


鼻高のスピリチュアルなんて大嫌いだ!と、さんざん言ってきたのは、ある意味の私の確かな自信です。カルマに向き合おうとする際に、闇を知らずして浄化の道があるなんて、とても信じられま続きを読む
ニックネーム 龍 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

外伝 最終章


大本の出口なお様の神がかりの凄さは、たぶん今の多くの日本人には理解されないのだろうと思っています。


『いり豆の花』著者出口和明(やすあき)さんの本を読んで、私は、強力な神がかりを受ける人のことを考えました。


他にも多くの神がかりの話を本で読み、それはまるで私が体験した、あの邪霊がかりと大差ないようにも感じられました。


しかし、本当に私に起きたこと、つまり私のエネルギーを私の了解なしに開いたもの、それはたぶん悪霊ではなかったようです。


五年六年と悩み苦しみ、人にどう相談すれば良いかまったく分からず、本当にクタクタになりました。でも、どうでしょう。この人に言えない体験があった為に、ひふみ神示を取り継いだ天明先生のこと、出口なお様のことが理解されたのです。

まさに自分の内面に巣くう悪想念を見せられ、ルートチャクラが時計回りに動いているのを感じた時に、「ワ〜ッ」と声が出ました。


具体的に人には言えない為に、ある面で私は悔しい想いもあります。スピリチュアルをそれぞれの場から語り情報を発信するのは自由ですが、私は怖さも知っているために、綺麗事の話にはやはりついてはいけません。


そしてまた、闇を本当に理解されているのかと、やはり疑うのです。



それはしっかりと私の中に固定されました。アモラが言う「自分のカルマが、目覚めはじめる前よりもさらに表面化し「照らしだされる」経験をします」というのは、決して安易に捉えてはならないと思います。


私はアモラという人が繊細で、人より過敏に反応してきた為に、他の人たちが語り得ない事まで話をしているところに、自分と同じものを感じて、共感を高めることが出来ました。経験者でないと気づかないところ、しかし人間として避けることの出来ないだろう感情的な心のヒダのような部分、それをアモラは実にたくさん経験し持っていたのです。


クァン・インとて同じで、デーウ゛ィド・アイクなどは同じところから来たのじゃないかとさえ思います。体験から導き出された霊性が、どんなに人の心を打つか私は経験して来ました。しかし、本当はあまり人には勧められないのです。



中には大本やひふみを、何かしらこだわって、過去の事だとする考えに私は賛成することは出来ません。


私は生々しい体験が好きなのではなく、出来ればそんな体験はして欲しくはありませんが、カルマに真剣に向き合うならば覚悟を決めるべきだと続きを読む
ニックネーム 龍 at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

母を守る里で

image/hifumi-ryu-2007-09-26T11:47:32-1.3g2写真は大神神社(三輪山)の社務所前の三角型鳥居


桧原(ひばら)神社(奈良桜井市三輪町三輪字桧原)に行く里に、天照大神様の五人の息子たちを祭る村の神社があることは、前にも少し書きましたが、また書いてみます。


この桧原神社に行くには、JR桜井市駅からバスで「箸中」で降りて山の方へ歩く一本道です。途中に箸墓古墳があり、「三輪そうめん」の山本の工場を通り抜けます。


村の郷社はすぐに分かります。


「三輪そうめん山本」で分かるように、飛騨一族が住んだ里であろうと思われます。どこのガイドブックにも載せてないかもしれませんが、飛騨一族は五人の天照大神様の息子たちを祭っていたのです。


しかも、山本健造先生の調査では、トヨスキイリ姫のお墓がこの近くにあり、「女の神の墓とは絶対に言うな」と子孫に厳命していたと言います。そうしてお墓は守られたと言います。


「つい目と鼻の先の三輪山ににらまれて、ドンドンと刀、槍、棒を持って攻められて村が潰されてしまう程なので、そうなると墓を護る人もいなくなり、三輪山の思う壺にはまり尊い墓が壊されるので、村中相談のうえ、やむなく菅原道真(すがわらみちざねとして「天神」として)祀(まつ)ることで、三輪山の傘下に降ったと推定されます」



この里からさらに山道を行けば、最初に皇居より出された天照大神様が鎮座された桧原神社に辿り着くのです。

桧原神社の天照大神様が鎮座された社の前には、写真の三角型鳥居を一列にひろげたかのような、奇妙な型の「三連鳥居」が置かれているのです。


鳥居が三つ連なり、真ん中が一番高く大きくて、横の左右の鳥居が少し小さく作られています。


この鳥居があるために、桧原神社の神殿ははっきりと参拝者には見えず、まるで入り口の前に無作法に置かれた門のようにしか見えないのです。


ツイタテというのがありますが、正にそれなのです。来る者から見えないように、また出る者は出られないように、このツイタテである三連鳥居は置かれてあります。


これを不思議だと、神道の謎だと、他には無い様式だと、そんなデタラメは有り得ないのです。しかも三連鳥居には、ご大層に格子目が木で作られて、いよいよ神殿をよく見ることなど出来ないのです。


三角型鳥居は、三輪鳥居なのです。三は出雲教のシンボルなのです。


三の一族は、日本を乗っ取った一族の末裔でしょう。もしくは忠実なるシモベでしょう。

「天照大神を表に出す」それは、何も大層な難しいことではないのです。天照大神様につながる一族を、日本の祖先としてお迎えすることなのです。


私たちの“いま”をはっきりと確立することなのです。闇の仕掛けた網を打ち破り、私たちの人生を確立することなのです。


桧原神社に仕掛けられた三連鳥居の、木の格子目が、闇の網だと気づくことなのです。



人よ、光であれ
ニックネーム 龍 at 11:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ご案内


福来出版(飛騨福来心理学研究所出版図書)

〇 明らかにされた神武以前

〇 日本起源の謎を解く

〇 裏古事記

〇 日本のルーツ飛騨

〇 破られた二千年の魔法

〇 ねじれ古代史


このブログで参考にさせていただいた図書です。

〇 福来出版の本の御注文は、郵便振り替えとなっています。

〇 福来出版
岐阜県吉城(よしき)郡国府町702 電話 0577―72―2486

郵便振替 00830(8)13035

振り替え用紙の通信欄に 必ず書名(本の名前)を書いて下さい

本代の他に送料がいります 一冊350円を加算して下さい


〇 財団法人 飛騨福来心理学研究所

http://www.fukurai.net/
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海上を守れ


古代より瀬戸内海は海の要所です。その穏やかな海流は航海に都合が良く、我が祖先たちは侵入者を見張る砦を作りました。


あの広島の安芸の宮島は、「イツク島」と今は呼ばれますが「イチキ島」姫命から名前が来ています。イチキシマ姫は、後に仏教が入ると「弁財天」とされました。


やはりこの方の武勇は有名だったようです。

祖先は何よりも海を警戒し、後に「海人」とも呼ばれる人々になってもいきました。広島から岡山、兵庫、そして四国の瀬戸内づたいには、後に海賊も登場してきました。


しかし、飛騨の国から伊勢を経て九州まで船で行った物語は、後には天孫降臨神話に書き変えられて、私たちは大切な祖先を見失ってしまったのです。


天の船があったのだと、遠い外国から天孫族がやって来たのだと、暖かみのある光の物語では無くなりました。

海から越して来た者たちが、いまだに日本人の祖先だと、いまだに神だと、ヤマトの心など失なわれていることに気づいていないのです。
ニックネーム 龍 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ヤァタの宮の祖先

image/hifumi-ryu-2007-09-26T09:26:03-1.jpg写真は住吉大社裏にある古樹のディウ゛ァ(日本的には御神霊)


天照大神(飛騨の大ヒルメムチ様)と夫の思兼命(オモイカネのミコト)の間に、五男三女が生まれました。


三人の姫様方は、多紀理姫命(タキリ姫)、多岐津姫命(タキツ姫)、市杵島姫命(イチキシマ姫)です。


この三人の姫様方が九州大分県の宇佐宮の始まりの方々です。つまり、宇佐宮の比売(ヒメ)神とは、この三人の姫様方なのです。


全国にある(中には祭神かりはずされた宮もある)八幡宮(ヤァタの宮)の比売(ヒメ)神は、天照大神様の三人の姫様方なのです。


それは全国八幡宮の元宮、石清水八幡宮(元は男山八幡宮)の案内板に書かれています。例によって「……とされている」と曖昧にされてはいますが、この宮から源氏が全国に八幡宮を広めた事を考えると、日本原住民の源氏が祖先神を広めた霊的意味が判じられるのです。



八幡宮は全国で一番多い宮であり、名前が明かされずに「比売(ヒメ)」とだけあるのは、そこに日本原住民隠し日本歴史隠しがあるからです。日本神社本庁は、その歴史隠しに一役買っていると言われても仕方のないことです。


まだ不明な上(祖先)があります。オリオン星座の三星と言われ続ける、大阪は住吉大社の「上筒、中筒、底筒」の神々です。


我が祖先は上祭り(先祖祭り)を行ったのであり、オリオンその他の神を祭ることはなく、「上筒、中筒、底筒」の三人の祖先は、明確にかつての日本の祖先です。この三人の祖先の元型も飛騨の三姫様です。



三人の姫様方は、海から越えて来る外敵に備えるために、宗像三神として沖島、中島、そして宗像の地と三カ所に祭祀されています。

中でも沖島は国宝級の遺物の島であるのに、たいした検証も実施されず、また沖島の沖の海底に眠る遺跡も何ら報告されていません。


私の自信ある推論は、「上筒、中筒、底筒」の住吉大社の上(祖先)は、天照大神の三人の姫様方ということです。上筒は沖島、中筒は中島、底筒は宗像の地であります。


これはかつての陣形であって、海から越えて来る外敵の侵入者と対峙する陣跡であり、海から来た人々は日本に入国する際に、「献上品」を沖島に納めたのです。これが国宝級の遺物の数々です。それらは、通行税のような物かもしれません。


ここで想起されることは、三人の姫様方は海から越えて来る侵入者に自ら立ち向かわれた、その痕跡が三つの宮跡だということです。

そうしたかつての三人の姫様方の働きから、「海の守り神」たる「上筒、中筒、底筒の神々」が考えられ(三姫を隠し)、今日の住吉大社の祭神とされました。



神は上=祖先とする視点こそは、飛騨高天原天孫族を見つける鍵です。「神」とした外国のやり方は、何ら霊的にも正しい認識方法ではなかったのです。


私たちはワンネスから鳴り生り成った一つであると、私たちは還る故郷を持つ存在だと、この現在の認識と何ら矛盾しないものでした。


過去の祖先は今を照らし、今の私たちは過去を光で照らし、つながった螺旋の確認が出来る視点は決して私たちを孤独にはしないでしょう。


ヤァタの宮の始まりは三人の天照大神様の姫様方であったこと、貴方のハートにも納めていただきたいと思います。
ニックネーム 龍 at 09:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

迷子の子猫


昨夜から「ミャ〜ミャ〜」と声がして、近くに捨て猫がいるとわかっていました。


マンションがたくさんあるために、マンションの壁に声が響いています。若い子が出す奇声より気になるので、さっき(午前四時すぎ)見てきました。


近くに事務所があり、そこの前のバス停のベンチの下で鳴いています。近づくと逃げるので、誰かお目当ての人がいるのかも知れません。


我が家の風ちゃんの食べ物を少し置いたら、その事務所に男の人が自転車に乗って現れたので、帰って来ました。が、まだ鳴いています。でも、安心しました。



涼しくなると寒さに近づきます。近くの公園で野宿しているおっちゃんは、何時ものアルミカン探しの仕事を始めました。また今夜も、救急車で搬送される病人がいました。


カマガサキで昔、あるおっちゃんに刑事と間違われ、「〇組はほんまにようしてもろてます」と、まったく関係ない話を聞かされました。


おっちゃんは、正月には弁当を配る地域の暴力団事務所を誉め、どういう訳か、そんな話をしました。


ギターを持って行ったら「一曲弾いてんか」と気軽に言われ、「ちょっと急いでんねん」と言葉を交しました。

気持ちが高ぶり、帰りの電車の中で人目をはばからず泣いてしまったことを思い出します。


友達に「俺、あんなん辛いんや」「あかん、涙出てしゃないわ」と、先頭を切って暴れた私がそんな事を言いました。


それらの記憶を、今なら少しはたどれそうな気がします。



気になると身体が動くのは、小さな頃からの特徴です。その過大な思いの裏に、遥かな記憶があるのです。しかし、過大過ぎるために自身の方向をかえって規定してしまう傾向は、あまり良い結果ばかりではありませんでした。


小さな子猫の声に、公園のおっちゃんに、そんな反応をしてしまう私です。金星を火星を仰いで帰って来ました。もう亡くなった、ヤクザもんの男たちの顔、あの頃の「熱い」何かを、心に鎮めた人生です。


赤い月が印象的な散歩道です。あの子は鳴かなくなりました。


「旗を立てておこう」、「誰が来てもいいように」と、また過大な思いのある昭和29年3月生まれの、こんなおっさんのブログは、まだ続きます。
ニックネーム 龍 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月25日

人は還ることができる


『プレアデス 神聖なる流れに還る』
「神聖なる質を顕現する」P207〜


多くの人々があらゆる問題は外側に原因があるという思いこみにとらわれています。いつもそのような態度を当然のように正当化し、あなたは同意する人を見つけますが、それはとても嘆かわしいことです。


もし誰かを敵と認めたら、あなたは戦う状態になり、すぐに防御的な応答をしようとします。しかし、魂にとって防御モードであることなどありえないのです。


※ つまり私たちは、「戦う状態」を操作され「自己の分裂」状態を作るわけです。

「魂にとって防御モードであることなどありえないのです」、
それは貴方も十分に体験してきた事実でしよう。


「あ〜、肝心な時に何も気づきなんて起こらへん!」とか、「こんだけ私が、一生懸命やってるのに、やっぱり神さんなんか居てはらへんねん!」とか、あげ出したらキリがないでしよう。




(防御モード)そんなことをするのはネガティブ・エゴだけです。


魂がそれ自身を犠牲者と見なすことなど、絶対にありえません。魂がどんなものについてであれ【判断を認めることも、絶対にありえません。】


したがって、判断や防御、非難、不信に入りこんだときは、ネガティブ・エゴのアイデンティティにいることになります。そして、ネガティブ・エゴでいるとき、そこから抜け出さない限りは決して【真実に近づくことはできません。】


※ アイデンティティ
自己を形づくっているもの。自己同一性。

私たちは今まで、今の私、過去の私、それらを形成するために、「やり方」を取り入れて来ました。

具体的には親から、友達から、親戚の誰かから、さらにはテレビ映画や本や、およそ自分が「使える」と感じたものから、選び取って「やり方」を自分のものにして来ました。
その大部分の「やり方」はネガティブ・エゴなのです。




たとえ自分自身が圧力をかけられ非難されていると認めたとしても、防御は反撃を避けるネガティブ・エゴのやり方です。これもやはり攻撃なのです。


※ 防御も攻撃である。それは学校の、職場の、地域の「イジメ問題」が象徴している。
今日に起こるすべての「事件」や「身の周りの出来事」に、ネガティブ・エゴが深く横たわっていること、それは長く人類を洗脳してきたこと、カルマであること、見せられているということ、古い抑圧されたエネルギーが浄化を求めて表面化しているということ続きを読む
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2007年09月24日

現実を変える


※ 瞑想したり、一人静かな時間を持つことで、穏やかな気持ちを得ることができます。
しかしながら、人前に出て、さまざまな出会いの中で仕事の中で、何時もの感情や思考などがまたよみがえり、望んでいない「流れ」に身を置いている自分がいます。



『プレアデス 神聖なる流れに還る』P206〜

アモラ

日常生活で、信頼、識別、不信、判断などの問題に関してあなたがどんな選択をしているか、観察してください。………


ときには、スピリチュアルな道を選んでいる人を判断するほうが、そうでない人を判断するよりもたやすいこともあります。なぜなら、私たちはスピリットに目覚めていない人には多くを期待しないからです。


しかし、スピリチュアルな道にいる人は時々、自分のカルマが、目覚めはじめる前よりもさらに表面化し「照らしだされる」経験をします。それは、【古い抑圧されたエネルギーが絶えずクリアリング(浄化)のために表面に出てくるからです。】

スピリチュアルな道にいるからといって、その人が、絶えず完璧であることを意味するわけではありません。【自分の道を恩寵に満ちて歩くことを学ぶ前に、誰もがときにはつまずくのです。】


※ 「開かれた頃」、だんだんと世界がわかってくる感じが強まります。しかし、それはただの始まりです。

そんな時に「神」に出会う人もいます。闇はそうして、その人がまだ抱えているカルマを揺さぶるように、近づいて来ました。


それをひふみ神示では、「人民どの、かしこうなったものぢゃな」とか「鼻高の役員どの」と、警告されるのです。

カルマの解消、浄化は、一生かけて取り組むべき課題です。「途上」の自覚のある人と、「もう終わった」とする無自覚の人では、コト(行為・光・伝える情報)が違います。




知り合ってから何年間もずっと同じことをしていた人について、私は前にチラッと述べたことがあります。それほど長く続いているからには、特定の問題が彼を強く支配しているに違いないと私は言うことができました。


この態度は、彼が「それを解決できずにいる」というささいな判断や観察の代わりに、実際、もっと思いやりをもつ助けとなりました。


私の思いやり深い自己の観察によると、問題が彼をそれほどまでに強く支配していたために、彼が行ってきたスピリチュアルな教えや瞑想のすべてをもってしても、まだその【パターンにはまりつづけていたのでした。】


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ニックネーム 龍 at 02:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月23日

新しい星空


こと座は真上にあって、次第に位置を西西北に移動させます。


9月30日にはスバルが現れて、次第に位置を東から徐々に移動させます。


10月は月が、火星(2日)パルックス(4日)金星・土星・レグルス(7日)水星(13日)アンタレス(15日)木星(16日)スバル(27日)とならび、一巡してダンスを踊ります。


太陽は新しい光を降り注ぐでしようか。


そして夜空は、次第に透明感を増して、冬の大三角を成す主星オリオンが登場します。


そして、新しい年の夜空の仕上げはシリウスです。2008年(平成20年・うるう年)の始まりです。


太陽活動に揺り動かされて、多くの光の仲間が出会いを果たすでしよう。わたしたちはこの「好機」を、ターニング・ポイントをけして逃がさないでしよう。


次の物語は、人類と惑星の物語です。わたしたちの物語を思い出してください。


そして、貴方が神聖なる流れを思い出して、夜空の星々を見上げられますように、カルマに対する一切の恐怖を手放しますように。


そう、人生を完全に取り戻されますように、新しい世界を創造されますように、大切な貴方に贈ります。
ニックネーム 龍 at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お知らせ


何から話そうか 5


http://hikari-ryu.269g.net/


予定は10月1日の開始です。
ニックネーム 龍 at 05:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

天照大神


人の行いは光である。光は情報であり、その情報はわたしたちの生命連続体へ届けられている。


故郷とわたしたちはつながっていて、誰一人として迷子はいないのだ。それを象徴されるのが天照大神である。

人間が守護霊界から放たれた個であると、天照大神様は教えられている。


放たれた個は一つ二つではない。魂の仲間がいて、仲間は世界の何処かに今も居る。日本人とかイギリス人とかになっているけれど、人間の本体はみんな同じだ。


天照大神という存在は、わたしたちにもわかる目標としてあるのだろう。人間はやがて守護霊存在と成るのである。


飛騨天孫族の発見は、人間が生きる場=国の再発見である。


生きる意味であり、大きな地球生命体の発見である。それこそが、スメラミコトの意味である。


わたしたち=スメラを、身で光(コト)をあらわす意味である。スメラは地球生命体である。


生命体の一員として生きなければならないのである。


互いに助けあい、互いを尊び、「わたしたち」を地球においても実践するのである。


天照大神様はその教えを、かつても今も、この国に生きる人間に伝えられているのである。スメラのミコよ、スメラのコト(光)であれと、故郷の世界をこの国に現せと、教えられているのである。


天照大神様は、地上と故郷をつなぐために現れられ、人間として生きられたのではなかったか。日抱きの御魂鎮めとは、その実践ではなかったか。


あれから二千年、宇宙からの光の使者は、我が民族の祖先の正しさを伝えに来た。特筆すべき情報である。


環を拡げ持てば、かつての地球原人が霊性を高く持っていたことに気づくのである。それはけして過去のコト(光)ではない。この名誉ある遺産は未来に存在しているからだ。


その向かうべき未来は、わたしたちが来た世界に存在するのだ。


過去から現在、そして未来を見た“いま”とは、大きな連続性の環(わ)の新しい終着点である。この点は螺旋への出発点でもある。


光を与えつづけられた天照大神様に感謝しよう。
ニックネーム 龍 at 04:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ある人が


この世界に何か異質な存在を認め研究を始めた。彼は家人から身内や友人から、もちろん他人からも「変人」とされた。


自分の肉体内部、心から、自分が感じる周りの現実から、その人は常に信号のような気づきを受けつづけていて、「もう逆らえない」と確信してきたのだ。

それは本当は世界中で起こっていた。しかし、彼にその事実を知る方法などはなかった。一人に起こるコト(光)は、人間存在が大きな一団の中から個と成ったと分かれば、その一団から生まれた世界中に散った仲間にも起こる。


本当の意味で「個人」はいない。存在しない。個は、連続する生命体の一つの側面にしかすぎないのだ。


わたしたちは、本当の意味で「わたしたち」である。


彼にその理解があれば本当に良かっただろう。「わたしたち」から来た「わたし」を理解出来たら、彼は幸せだったはずだ。


それを教えるために、キリストは現れた。わたしたちは銀河の中心から放たれた者であることを、彼キリストは教えた。



彼は長年の人生を真理のために捧げた。彼は多くの事実を知った。彼は地上でコト(光)を拡げた人に成った。そしてそのコト(光)は、「わたしたち」が記憶し地球の図書館に収められた。


人はそれを霊界だと認識した。地上からアクセスする人が増え、図書館は次から次へと必要な情報が本になって収められた。


「わたしたち」も図書館を利用した。学校の生徒たちは本を読み学び、次の転生の青写真を創造しようとした。彼の得た体験集の本は、ここでは誰もが利用して無駄にはしなかった。


「わたしたち」から離れた彼の人生を、無駄にするようなコト(光)がもしあれば、その連続体としての生命集団は光を得られないだろう。


何故ならば、それは唯一なる神が求められたことであり、多次元世界の中心基軸であるからだ。中心を離れれば光はないからだ。それは法則というよりは、生命連続体における神聖なる流れであるからだ。


彼らには「わたし」という一人称はない。彼らは常に「わたしたち」である。「わたしたち」から今は離れた貴方をとても大切にする。彼らも貴方と共に生きていたいからだ。


体験の場がこの星の多次元世界における役割だからだ。


だから光の線はとても大切なものなのだ。


世界の真理を求める人々に感謝しよう。一人だと疑っている仲間に調波を送ろう。けして一人にしないように、皆でハーモニーを送ろう。
ニックネーム 龍 at 04:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

新しい「局面」への展開への予感


今日とその前の太田氏のHPでは、氏は、いわゆるロスチャイルド家をただの「陰謀論者」とする見方に警告を発せられている。


彼らロスチャイルド家につながる人間の中には、表向きはロスチャイルド家の人間ではない者もあり、このような「隠れロスチャイルド家の人間」が秘密儀礼、つまり悪魔降霊(交霊儀礼)を現実に行っていることを強調されている。


それはデーウ゛ィド・アイクが展開してきた一連の書籍が明らかにしており、氏もアイクの本を参照されて、さらに別の本も参考にして説明されていく。


こうした見方が正しい。私も確信を持つことが出来る。



ロスチャイルド家やロックフェラー家、アスター家、等々、(あのブッシュ家や「ハゲ鷹ファンドの家系等々」)


これらの家系の後ろ、本体、操り人形の糸を持っている者、それをアヌンナキに代表される闇の異次元存在だと認識する人々は、陰謀論を語る人々の中でも少数である。


それらは、ある日本人には「アイクは一種の病気だ」とか、「科学的な論証がなされていない」とか、およそ思いつく限りの罵声を浴びせる。


そして、スピリチュアルな世界においても、「プレアデス人には何らかの意図が感じられる」とか言う。


およそ真理を探求すると語りながら、真理の場所を入る前から選び、パズルのピースさえ前もって選んで歩こうと彼らはしてきた。


太田氏は、自力で、誰一人として踏み出せなかったフィールドに立たれ、本当の意味で真理を探求してきた日本人である。スピリチュアルな人にはそれが、他の日本人に旗となってきたことが理解される。


生のエネルギーを地上に具体的に降ろす人が居なければ、人々は真理のエネルギーが実在することには気がつかない。


その真理を高く掲げる旗の場がないと、必要なエネルギーは流れては来ないのだ。氏は長年にわたり、そのエネルギー場を自力でつくられ奉仕されたのだ。

そして、その情報の発信者デーウ゛ィド・アイクは、次のような今の心境をウェブ上で語り始めた。


「私の方向や研究、知識への情熱が別の所に向いている」


「われわれが日常的に操作されていることを認識することは極めて重要なことだ」


「生命そのものの「現実」に対する深い理解が欠けていたら、ただ自分がいる監獄の一室について知るための探索を続けているだけになってしまうだろう」


「われわれが自分の経験をどのように語りだしているか続きを読む
ニックネーム 龍 at 02:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月21日

休憩


何度も読み返してください。『プレアデス 神聖なる流れに還る』から得た結論です。


私たちは未来からの光の使者と出会い、共に大きな一歩を踏み出すときを迎えました。


この一歩は文字通りの大きな進化です。
ニックネーム 龍 at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

電子レンジ


電子レンジはすべてが波動であり、波形で成り立っていることを教えています。


それまでは食物のエネルギーを活性化させるために火を必要としましたが、いまや波動のスペクトル内で三次元より速く振動する区域を使って食物の原子に衝撃を与え、あたためることができます。


告白すると、あなたがたの電子レンジの件でわれわれプレアデス人は大笑いしていました。なぜなら、この技術が光のスペクトルの目に見えない部分を直接教える結果になっているからです。


あなたも本書を読めば、フォトン(光子)は太陽光の範囲ではなく、電子レンジに使われるマイクロ波の範囲にあることがわかるでしょう。電子レンジを発明したのは、気づかずに長時間その中にいると波動の周波数によって“煮えて”しまう可能性があるのを知るためだったのです。


電子レンジにものを長く入れすぎた経験はありませんか。そして本書が教えるように、あなたがたは1998年からフォトン・ベルトに入りっぱなしになるわけですが、どうしたら煮えないですむでしょうか。


※ そういえば、フォトン・ベルトについて紹介していた初期の本の中には、地球はやがて「電子レンジ」の中に入るような状態になる、と書いてありました。



われわれプレアデス人から意外なニュースを贈りましょう。フォトン光の増加に対する解毒剤は、太陽です。


※ フォトンの電子レンジ的効果を「緩和」しているのが太陽光だといいます。実際に“煮えた”人も生き物もいないように思われますから、解毒剤は効いていると確認できます。


その太陽はどこからエネルギーを得ているのでしょうか。プレアデス人は太陽を、プレアデス星系の八番目の太陽だといいます。

そして、私たちの太陽系がある銀河系の中心星が、プレアデス星系のアルシオネだと教えます。

さて、これは私の推論であり結論です。地球内部ほどフォトンの「電子レンジ」効果が高いとしたら、太陽光の届かない地中における効果が地表より高いとしたら、答えは導かれます。

まるでフォトン・ベルトの光は、隠れているモノをイブリ出すかのようです。

電子レンジは食物の中がよく“煮える”でしょう。


2000年に北海道のウス山が噴火しました。次は三宅島のオ山でした。出雲地方、奄美地方で地震がありました。他にもたくさんの地震がありました。


つまり、地球内部はフォトンに反応したのです。その反応は、列島をすっかりおおう続きを読む
ニックネーム 龍 at 12:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

休憩


〇 第三次世界大戦は始まっているか


太田龍氏が指摘されているように、それは既に始まっている。


イスラエルは攻撃をやめないし、むかえるイスラムは既に臨戦体勢をととのえている。


アメリカは既に駐日大使が派手に動き、軍船艦隊への給油活動の継続を見える形で求めている。しかもその求め方は、一種のドウカツである。


「私たちは日本が必要とする情報を提供する用意がある」とほざき、「何でも知ってるんや」と言って来ている。「必要なら、日本の政治家のスキャンダルくらいは朝飯前や」と宣っているのだ。


日本の政治家の大半、つまり自民党の大半は、「農政」に仕掛けられた動きにビビリ、次の仕掛けに恐怖している。JAの乗っ取りこそが次の標的であるからだ。


混乱の拡大こそは世界統一政府の野望であるが、フランスの新大統領のごとく、彼等は覇権争いも忘れてはいないようでもある。


そんな世界大戦に勢いをつけさせる、日本のマネーばかりを食い散らかす奴らに、油など与えてはならない。人を殺しに行くために、殺人を実行させるために、わが日本は油を与えてはならない。


まだ名前も名乗らない、姿も見せてはいない、将来に何かしら心配を抱えた日本人が多くいる。彼らはまだ何も行動はしてはいないが、たえず自分のアンテナを張り巡らしている。


彼らはネット上をさ迷うかのように、今のところは見える。だが、果たしてそれだけだろうか。


彼らこそは新しい火を生み出す、その火種となる油を内に抱えてはいないか。


その火は、人を殺す火にはならないだろう。だから今のところ、表には出てこないのだ。

彼らは見極めようとしている。彼らは急速に学習し、人類の敵の正体を見極めたいのだ。

不思議な均衡状態が生まれつつある。サイコロは投げられたが、悪意が増せば反対のエネルギーが根ぶく。


災害が地球上に訪れる今、何が「テロ」だ!何が「真の敵だ!」ふざけるんじゃない!!!彼らはそう思うだろう。


それは一日本人の心情ではないだろう。アフリカや中東や南アメリカ大陸の人々の心情でもあるだろう。ようやく痛めつけられた日本人は、目覚めを持とうとしているのではないか。それが各サイトへのアクセス数の増加となっているのではないか。小学生たちも見ているのだと私は思う。

第三次世界大戦は始まっている。始まっているという理解から進まねばならない。日本が提供する油が人殺しに使われて続きを読む
ニックネーム 龍 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

テレビ


テレビは、あなたがたに見えるものすべてが実際は【認知作用】であることを教えています。いま(テレビで)見ているのは生きた人間や木ではなく、小さな点からイメージを生みだすスクリーンだとわかっているからです。

※ テレビ画面は小さな点をそれぞれの色がつき、実際の人物などを写し出している。




では、そのイメージとはなんでしょう。伝達された概念です。本当はすべてがそうなのです。


※ 概念(がいねん)
テレビを見る私たちが、「木だ」「誰それさんだ」と認識する。概念については長く哲学的な論証がなされてきたが、ここでは深く立ち入らない。




シャーマン的視点からいうと、自分の頭脳の中で実際にイメージが形成される過程を活性化できれば、外界に形をとってあらわれるイメージも本当は内的概念だということがわかるでしょう。


まさかと思うかもしれませんが、お宅で飼っている猫が姿をあらわすのは、あなたの内的イメージがひき寄せるときだけです。自分の前にやってくるものはすべて、自分の心が創造しています。


※ 人の多い街の中を歩いていて、通り過ぎる人、すれ違う人を、私たちは一人一人確認出来てはいません。

しかし、美人を探しているならば、女性の歩く姿に眼がいきますし、何か品物を探しているならばそちらに眼がいっています。

「自分の心が創造しています」、この「創造」に気づいていないために、「私はいちいち創造なんてしてはいない」と思う人がいると思います。

「認識」は「創造」にはなりませんか?「何かを探して」は「創造」にはなりませんか?

一日を振り返り、強く記憶に残った出来事や人物を認められたら、その人を認めた時の貴方の内面を観察できるはずです。

実にこうした「創造」は、常日頃から貴方の中で生みだされていますから、たくさんの引き寄せが行われていますから、たくさんの出来事と一緒に「放りこまれて」います。

電車の窓から見える、気になる景色はありませんか?いつも何故か見てしまう、そんなものはありませんか?




これが本当にのみこめたとき、あなたはやっと“自分が気にしてること”の内容に入念に気をくばるようになります。先住民の意識をもつ人間たちは、自分の心のなかにあるものとないものを、非常に注意ぶかく観察しています。


※ つまりテレビは、この「創造」に影響を与えている。自分の頭脳を「一定」にし、私たちの人生に対しても続きを読む
ニックネーム 龍 at 09:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

科学技術


科学技術とはなんでしょうか。


あなたがたの多くにとって、それは時間と労力を省くための面白い仕掛けであり、おもな考慮点といえば価格的に手が届くかどうかです。


われわれプレアデス人にとっての理想的な科学技術は、自分のなかにある未知の力を外界に具体化したものとして発明する装置です。自分自身の内なる力を理解できる形にしようとして、みずから発明するものです。


あなたがたは科学技術とかかわる中で自分の内側のなにかを活性化し、認識しているのに、表面ではそれをほとんど意識していないように見えます。あなたがたが自分の内なる力を認識する様子を見るとわれわれも楽しいのですが、真の創造性と科学技術の違いを理解してくれたらいいのにと思います。


真の創造性は自然をはぐくみ、科学技術はかならず自然にストレスを与えることが本当にわかれば、技術の使いすぎはなくなるでしょうし、テレビなど一部の装置は、それによって活性化された内なる力を認識した段階で使用を禁止するでしょう。



あなたがたのうち少数ながら、外側の科学技術とともに内側の力を活性化させる最初の思考パターンを発見している人たちがいます。彼らはいわゆる天才で、物質化を迂回して思考のみのプロセスに取り組む能力も、さらに多くを発明する能力もあるのです。


われわれの多少の導きで、これを理解する人がどんどん増えています。たとえば、テレビの陰極線の技術は体内の視覚皮質受容器を刺激したため、細胞レベルの記憶をひらくプロセスとして内的な視覚化(ビジュアライゼーション)をおこなう方法を思いだしました。

※ 「内的な視覚化」
たとえば、宇宙をイメージする際に、ある映画のシーンが有効に作用する場合があります。

私が宇宙から乗鞍岳を見たのも、テレビや映画の画像に触発されています。

プレアデス人は内側に反映させる(サティアの言葉では「内側の力を活性化させる」)ものを、発明と説明します。

そうです、私たちはどんどんこうした視覚化の方法を取り入れば良いのです。




これはテレパシーが使えるようになることを意味します。脳内で伝達可能なイメージを作る方法がわかったわけですから。


仮想現実はそれをもう一歩進めて、頭のなかのイメージから生みだされるものです。



なぜわれわれはこうして、あなたがたの一部を導いているのでしょうか。プレアデスでは子供のうちに内面の力、つまりシャーマン的・続きを読む
ニックネーム 龍 at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

そして、プレアデス


チャネリングが出来る人はともかく、私たちにはまだその力は戻せてはいません。だから、プレアデスの情報を読んでいます。


実際にプレアデスの情報を読む方が良いのだろうと思います。体力的にも精神的にも疲れる事はありませんし、何時でも必要なところを読めるからです。


私はひふみ神示に出会ってから、実にさまざまな事を自分で考えて来ました。自分で考える、自分で何かを見つけ出す作業は、本当に霊的な道だと思います。


大学ノートは数十冊にもなり、書いた小説は十二冊にもなりました。その小説の中で、私は闇の存在をある程度自分なりに書きました。


初めて書きますが、主人公の一人の少女がいて、彼女がテレビの中で超能力を使う男の化けの皮を暴くシーンがあります。男は見る見る間に人間からウロコ状のモノに戻ります。

そう、あの頃には爬虫類型異星人について何も知識などありませんでしたが、「王(ワン)」と名乗る男の正体を、そんな風に書いていました。今の私はこれを、偶然だとは思わなくなりました。


「王(ワン)」は超能力者としてマスコミに登場し、人々は救世主のように扱います。少女も超能力者であり、彼女はテレビの前で彼に闘いを挑むわけです。その「王(ワン)」が本当は人間ではなかった、そんな小説です。



私には爬虫類型異星人を見つける「眼」があったのでしょう。あの頃は眉間が常にズキズキしていました。


デーウ゛ィド・アイクの本を太田龍氏から知り、私は「やっぱり」と感じました。そして、あの王仁三郎の名前が「鬼」を嫌って「ワニ」(中国人のワニ博士一族から名前をとった)とした事も、同時に流れて来たのでした。


プレアデスの本を読んで「これはひふみ神示だ」と感じ、サティアの語る話にも自分と同じ視点があったこと、それは褒美のようにも感じられました。


それで私は「信じる」わけです。


人間が信じる場合、まず自分との共調がなければなりません。


だから私も、「全てを書く」のではなく、最後の「褒美」は、貴方自身に見つけ出して欲しいと考えています。パズルは貴方の手の中にあり、後は貴方が組み立てるのです。


プレアデスの情報で「わからない」部分があれば、ひとまず先に進めば良いだろうと思います。この本はただの本ではありません。こんなレベルの本を手元に置いて、頭を痛くしながらも取り組もうとしているだけでも、本当にたいしたものでしょう。


私たち続きを読む
ニックネーム 龍 at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

なぜ守護霊や霊界を信じるのか


私はこれまで自分自身に起こった事柄を書いてきて、貴方の気づきとなるようにして来ました。そう、問題があるとするならば、信じられるかどうかです。

しかし、考えてみれば分かるように、気づきの主体=自分と守護霊とのつながりを疑問に思うようならば、「つながり」ようはないのです。


サティアのこれからの話にもあるように、私たちは、「つながり」をさらに太く確かにしていくべきです。「わからないけれど、在ると思う」なら、具体的なイメージを持つべきです。


一神や二神ではなく、ひふみ神示にあらわされてある守護霊です。その守護霊界から貴方はここにやって来たわけです。貴方の故郷があり、貴方の仲間が居て、貴方の家です。


貴方の家で貴方が文句を言っても、貴方が愚痴を言っても、誰かがいつも見守っていてくれるのです。


貴方は守護霊の姿形さえイメージすることが出来て、貴方の確信が在れば、その場に来てくれることも可能です。


私たちは常に神ばかりを思考し、不確定なイメージばかりを内面に抱え込んで来ました。具体的イメージが無いのに神が現れると信じ、常に身近に世話をして頂いた守護霊存在に気づいていませんでした。


だから自分をクリアにする必要があるのです。クリアにするとは浄化です。私は話かけています。「あぁ、そうか」と返事はありませんが、私は確信して話しています。


嬉しいことがあれば、人のいない場所で「ありがとうございます」と言っています。そうして太い線を作ろうとして来ました。こんな事は誰でも、何処でも、何時でも出来ます。

貴方が守護霊を無視して、誰ともわからない縁もゆかりも無い存在とのコンタクトばかりを優先させて来たならば、真っ先にお詫びをするのが礼儀です。


光の守護霊存在は「わしがわしが」とはされません。「わしを信じろよ」と言うような存在は、この世界の主体たる貴方には必要はありません。


親が子供の人生を自分のものだと勘違いするような、子供の体験に干渉するような親は、光の守護霊存在ではありません。


それが宇宙の法則なのです。


「私の教えは神から発せられています」と言うような、ニセ神教祖の言う事は、法則無視のマガイものです。


光の守護霊存在はとても大きな世界の住人です。そして私たちの教師は、まだまだ他にも居られるのです。イメージするならば、この銀河の中心からアンドロメダ銀河まで、遥かな銀河にまで居られるの続きを読む
ニックネーム 龍 at 05:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

未知の次元の引き金


いまひとつの可能性を説明する前に、ゾンビがどのように作られたか教えましょう。


彼ら(「世界統制チーム」)が体現した科学技術こそ、進化した存在たちが完全に拒絶したか、異なる使い方をしているものだからです。


科学技術は手段にも目的にもなり、「現実の分裂」はそのどちらかを選ぶかによって生じます。


われわれは前の段落で、四つの科学技術にそれとなく言及しました。【テレビ電子レンジ、人工の光、コンピューターです。】


ほかにもなんらかの方向に刺激するものはありますが、われわれプレアデス人の感じでは、本書で【徹底的に描写されている目に見えぬ未知の次元の引き金をひいているのは、この四つです。】



この本がいま書かれねばならなかったのは、科学技術が進歩した結果あなたがたの身の上になにが起きているか、気づいてもらうためといってもよいでしょう。本書は、科学技術による「ゾンビの国」から脱出するための手引きです。


これらはあなたがたを決定的飛躍、多次元的融合と浄化にむけて加速しつつある技術なのです。これだけは確実にいえます。こうしたものを【意識的に扱ってください。さもないとあなたもゾンビになってしまいます。】あるいは、もうなっているかもしれません。


続く
ニックネーム 龍 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

「ゾンビの国」


『プレアデス 銀河の夜明け』より

はじめに――現実の分裂

プレアデスの中心太陽アルシオネの記録の守り手サティアの言葉より P16〜


ひとつの現実は「ゾンビの国」です。そこでは、あなたがたはトランス状態でテレビの画面を見つめ、実在しないニュースや物語のイメージで頭をいっぱいにしています。実在するものとは、あなたが“いま”にいるとき、そこで起きていることです。


※ このような「問いかけ」は、プレアデス人による「浄化」を促すさいたるものです。
テレビを見なかったり、たとえテレビで重要だとされる問題を、あなたが「理解」しなければ、それらは「実在」するでしょうか?


プレアデス人サティアは、こうした私たちの日常を、まるで「テレビゲーム」のように「見て」います。




われわれが見ていると、あなたがたは脳から機械にインパルスを送って、所有欲や性衝動を刺激するイメージを作り、仮想現実(バーチャル・リアリティ)遊びをしています。


そのイメージを見ているうちに刺激されて買い物に行くか、セックスをするか、なにか食べたくなります。


食品を電子レンジに入れると、レンジは食品の本質を振動させてあなたの味覚受容器に適合する物質に変換し、それを食べるとあなたの身体は数時間ほど落ちつきます。


※ 私は性衝動を抱えたオスですから、「おぉ、ええケツやな〜」と反応してしまいます。

また、ピザが食べたいと反応してしまいます。

しかし、最近は少し違います。「この娘ら、同じ顔に見える」、「美人の基準は変わるものやけど、筋肉のない身体は美しくないな」と、ピザの画一的な味を思い出してしまいます。大変に失礼ながら、ちっとも個性を感じません。




同じ家に住む人々も、外でつきあう人々も、みな最新流行のファッションに身をつつんでいます。彼らはあなたが見たいと思うものを完全に体現していますが、そのだれに対してもまったく感情をいだいていません。顔の特徴をのべよといわれたら、たぶんできないでしょう。



政治や世界情勢にもまったくかかわりをもちません。そんなものはテレビの中にしか存在しないからです。


旅行は危険だと思うのでめったにせず、たとえ旅行をしても周囲と隔絶されたホテルからホテルへと移動し、テレビのある部屋に直行します。ホテルのテレビのほうが成人映画のチャンネルがあるぶん、家庭のテレビよりいいわけです。


人や物に反応続きを読む
ニックネーム 龍 at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

となりの町で


まだ少女と呼べる子が父親を斧で殺しました。彼女はたぶんに母親の疲れた心を読み、家族の心情を引き受けて、その行為を果たしたのでしょう。


私はあるサイトで、「父親を殺した」という若い男の子と知り合いました。彼は罪を果たして、今は家に戻っています。彼はこう言いました。


「毎日毎日、酒に酔って、二階に来る父親が怖かった」


彼は防衛の為に野球のバットを部屋に置いていました。それが凶器になりました。父親は若い時から空手を習っていて、とても腕力に自信がある人だったようです。



あの′70年の大阪万博の時代、何か面白い事が始まりそうだと感じた魂たちが、志願して日本に生まれて来たと考えれば、その後のこの国のことが少し見えてはこないでしょうか?


確かに子供がたくさん生まれて来る背景に、あの高度経済成長と呼ばれるような背景があり、たくさん用意された団地の一軒一軒に、命は八ヶ月を過ぎた胎児に宿ったのです。


最初は期待した子供たちも、だんだんと期待どおりには成らない時代を感じ、それでも何とかそれぞれが工夫し努力し、創造性を高めて、時代の一つを創ろうとしたのです。


「今度はうまくやる」と決めたけれど、魂に刻んだ「傷」がうずき始めました。人間はそうして、さまざまな場面で過去のトラウマが発動します。「今度」を規定してしまう「内面の爆弾」が破裂し、「やっぱり自分は駄目だ」と、かつてのように思い込んでしまうのです。


彼や彼女の「内面の爆弾」たる恐怖は、間違いなくかつての爆弾です。彼らの父親は、常に暴力的で身勝手だったかといえば、そうではなかったでしょう。

私にも身に覚えがありますから、その身が縮こまる恐怖の感覚はわかります。イジメっ子に何故反発出来ないんだ、そう言う人もいますが、実際の恐怖は自己認識さえままなりません。


あの次から次へと襲い来るものの正体は、魂にすり込まれた記憶から来ているのです。だから、正体のわからない恐怖があるのです。

正体のわからない恐怖を私たちは、魂のカルマと認めることが出来ます。そして闇は、この魂のカルマに依拠して私たちを操作して来ました。


「悪を抱き参らせる」とは具体的に、魂の浄化です。一切の怖れからの脱却です。


闇の同盟は大半が地球を離れたのでしょう。ルシファーは元のキ(生)のエネルギー体へと戻っていくのでしょう。それは高次元の仕事でしょう。


私たちの仕事は、魂の続きを読む
ニックネーム 龍 at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月07日

九月いっぱい休みます


この話を神経質に取らないでくださいね。


貴方が読みます。あまり分からないけども、何か心に響きます。分からないけれど、また来て読みます。


マインドコントロールではないけれど、そんな時、貴方に関係した存在や、魂のまだ貴方に感知されていない部分、そこが「動いている」と素直に感じてください。


そうして私たちは、必要なところに伝えているのだと、そう思ってください。多次元存在に、貴方が伝えていると感じてください。


そうして世界は変わっていくのだと、少しくらいは自信を持ってください。


霊界が浄化されているという意味は、本当に凄いことなのですから。


「もっとさ、はっきりと言ってほしいよね」と思っている人、


人の人生の意味が、自由意志のない「がんじがらめ」であったなら、それこそ、「面白く」も「何ともない」でしょう?


私は細木さんとか何とかさんを、「引き受ける」つもりなんてありません。まだ評価出来ない途上の人生を、何処で重大な転機を持っているか知れない貴方の神聖な人生を、どうして、誰が、どのようにして判断できるのでしょうか?


はっきり言って、神様でも判断されないでしょう。
ニックネーム 龍 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

謎とき


平成十九年八月七日六時、


十・九・八・七・六


この数列は「つながり」であります。ふじ(三千世界)が晴れた祝いであります。
ニックネーム 龍 at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ひふみの御用


真っ先にはじめの御用をされた出口なお様が想い浮かびます。


次の御用は、岡本天明先生であります。御婦人のみのり様であります。


次の御用は、山本健造先生であります。御婦人の貴美子様であります。



国常立大神の御活躍の姿は、黄金の龍体であり、妻神の豊雲野大神は銀色の龍体だと認識されてきました。


龍はワンネスから生り鳴り成った光であります。精霊世界の中心ゝであり、天と地をつなぐ御用を成されているのであります。


その尊い人間としての御用を、ひふみの鳴り成りを、先達の生きざまに見ることができるのであります。


ありがとうございます。ありがとうございます。


そして、私共も、示された道を参ります。


平成十九年九月七日
めでたき日に 龍
ニックネーム 龍 at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月06日

休憩


気づかれてる方はともかく、まだ気づきについて慣れていない方もあると思われます。


前のひふみ神示には「出雲の神」がはっきりと書かれていて、山本健造先生方が明らかにされたように、古代ヤマトに出雲教が現れ「上に立つ人々」が外国魂に「侵された」様子も書かれています。


ひふみ神示は明かされた事柄がたくさんあるために、私のように飛騨天孫族を学習した者でないと、この部分に気づくことはありません。


読んで見ると今さらながらに、ひふみの神はすべてをご存知なのだと分かります。つまり、飛騨の口承口伝の正しさはひふみ神示に表されてあるのです。


よく読んで、肚で判断してください。国造りを判断された神の想いは、私たちが想うより深いのです。
ニックネーム 龍 at 23:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

昼間の幻影


昼に寝ていました。


このマンションの部屋は西向きにベランダがあって、陽射しよけにスダレを立てかけてあります。


目が覚めたらいつもの様に、スダレ越の外の景色を見ます。


大きな、大阪の国魂神社の屋根みたいな、あの流線形の屋根が見えました。そんなものはあるはずがないのです。


トイレに行きました。どうせ寝惚けて、そんなふうに見えたんだと、でも気になるので、トイレの便座に座りながらドアを開けて、もう一度見てみました。

まだ、見えたのです。

向かいにはファミリーレストランの駐車場で、その向こうはアパートで、見えた大屋根はアパートの広さいっぱいにあったのです。考えるのをやめました。

「また、始まったよ」と思いました。こんな時はもう考えないようにしています。考えたって分かりません。


「もっち姉さん」は「もっと続けて」と言ってくれます。私も考えてはいます。そう、ブログの続きです。


そして、ベランダの向こうに白壁の二階建てがあり、その白壁が拡がって大屋根に見えたと気づきました。


そしてまた、ひふみ神示をめくり気になる箇所を書いたら、ハッと気がつきました。忘れていたのです。


「でもなぁ〜」と正直シンドイのです。「俺は寝てる間に、あんな処に行ってんのかな?」と思います。


さて、どうしましょうか?休憩します。
ニックネーム 龍 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

第八帖


旧九月八日で一切りぢゃ、これで一(はじめ)の御用は済みたぞ、


八分通りは落第ぢゃぞ、次の御用改めて致さすから今度は落第せん様心得なされよ。


何も彼も神は見通しざぞ、神の仕組人民でおくれん様気付けて結構致し下されよ、


二(次の)仕組、御用は集団(まどい)作りてよいぞ。


大奥山はそのままにしておかなならんぞ、天明まだまだ神示の御用結構ぞ、アホ結構ぞ、リコウ出るとこわれるぞ。


天明ばかりでないぞ、皆同様ぞ、皆リコウになったものぢゃナア、

クドウ神にもの申さすでないぞ。八月十五日、一二神
ニックネーム 龍 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

出てござれ


ながい中つ世のことでありました


神々様 出てござれ


一の用は済みました
二(次の)用は済みました ひふみの御用は三となり まつらう時と成りました


神々様 出てござれ


身の御用となりました ヒトの御用となりました


神々様 出てござれ
ニックネーム 龍 at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

人民ばかりでないぞ


ひふみ神示 まつりの巻

第五帖


肉体先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになっているのざぞ。


神がかりでまだ世界の事何でも判ると思うている人民気の毒出来るぞ。


八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。


出雲の大神様此世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、


【三千世界の迷うミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、

コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列に入らしめよ。】



その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉よ。


【邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引き寄せて抱き参らせよ、


取違ひならん大切事ぞ、】八月十二日、一二神
ニックネーム 龍 at 19:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年09月05日

ウメの巻


第五帖

ニニギの命お出ましぞ、

ニニギとは二二(ふじ)のキの御役であるぞ。

※ 二二のキの御役であるぞ

この中心ゝは、二二(ふじ)からのものであるといわれる。いわば民族のキであり、国造りは高次元世界つまり、地球に初めて置かれたミステリースクールのキである。



神がかりて世界中のこと何でも判る様に思ふていると、とんでもないことになるぞ。


このままにしてほっておくと戦済んだでもなく、とどめもさせん。世界中の大難となるから早う改心結構ぞ。


悪の上の守