2007年08月31日

多様性の中の一体性に生きること


『プレアデス 神聖なる流れに還る』
8章 地球の神聖なる計画との連携
チャネリングから抜粋した教え

P157〜


多様性の中の一体性に生きるには、すべての者の自由意志に対して、自分がそれと同じ考えであるかどうかにかかわらず、敬意をもつ必要があります。


スピリチュアルな道において、あなたは神聖なる人間の手本として生きる役割を引き受けるように求められます。言い換えれば、平和、正義、愛、真実、そしてワンネスに基づいた新しい世界を作りだすのを助けるためには、あなたは今、みずからの人生にそれらの質を受け入れなければならないのです。


※ この生き方は「難しい」と、そう思われています。「社会生活」においては、これらは何か「課題」のようにも感じます。「そうあらねばならない」のに、そうしてしまえば自身の行き先が得られないと、そんな場面に出会うからです。




私は一通の手紙を受け取りました。それには、高次元の光の存在からのコミュニケーションやチャネリングはすべて間違いであり、私たち(人類)の足を引っ張るものであると書かれていました。


人間が真にマスターとなりアセンションの可能性をもてる【唯一の方法】は、サン・ジェルマン、イエス・キリスト、観音、ラー……といった「自分を偉大に見せようとしている存在」を立ち去らせることであるとこの人物は主張していました。


この人物のグループは、すべての答えをもっていると根本から主張して、自分たちと意見が合わない者はすべて間違っていると決めつけていました。


私ははじめ悲しく思い、判断のレベルと分離主義に少し動揺さえしました。スピリチュアルな優越性を装っていると感じたのです。


しかし、言われたことに関して自分が抱いたどんな判断も手放す必要があると気づきました。そのグループの教えの大部分については私も同じ考えであることを認めました。


私たちがつながり、指導を受ける存在を識別する必要性は重要です。そして、私たちはすべて主張をもち、源に直接つながっているという、そのグループの意見についても同感です。


しかし、私はまた、私たちが目指しているレベルにすでに達している天使やガイドたちが、どのように私たち自身の意識を高めるかを示すために、いつも助けの手を差しのべてくれていることも知っています。


言い換えれば、私たちが学び成長するときお互いのために手本を示すのと同じように、彼ら続きを読む
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2007年08月29日

リラ(琴)


リラ(琴)の発祥は、またもやシュメールである。ここからギリシャに伝わった。ギリシャでは、神々に応じたリラ(琴)が弾かれたと伝わっている。


ならば神々は、リラ(琴)の音色を聴きわけて現れることになる。

神功皇后の神がかりを、私は歴史「書」にあるようには見ない。が、供のスクネが弾いたとされる立て琴は見逃せない。


「書」にあるような琴ならば、低い音色だったはずだ。しかも、三本か四本の琴糸だから、「ビィ〜ン、ビィ〜ン」というような感じだろう。


それを「約束」と仮にすれば、その単純な音色を聴きわけて、何かが現れたとなる。もちろんこの何かは、神である。


このような類似性を、「日・ユ同祖」論者は見逃さないだろうから、私の知らないところで誰かが言っているだろう。


だが、であるから問題なのだ!


このような類似性を、人間が遥か彼方から陸地や海を越えて伝えたとするが、あまりにもこのような類似性は嫌らしいのではないか。「作為」とした方が理解しやすく、各文明跡に残された「操作」とした方が良いだろう。

もう既に「神」の正体を捉えた今、三柱鳥居や普通の鳥居の形さえ、元は「約束」のリラ(琴)の形から来ているのかも知れない、そう見ることも出来る。


普通の鳥居に締め縄がかけてある。古い鳥居は二本の柱で、その柱と柱をつなぐ締め縄がある。締め縄は琴糸かも知れない。


今のところ仮説である。しかしながら、あの鳥居の妙な形の出自は案外こんなところにあったのかも知れないのである。


鳥居とリラ(琴)、これこそ類似性に違いない。
ニックネーム 龍 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

ひふみ神示 第十七巻


「二日んの巻」第二帖


天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。


その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。


何故ならば、自らなる段階秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。


しかし、同一線上における横の交流は、可能である。それはちょうど、地上にぁおける各民族がお互いに交流し、融和し得るのと同様である。



すべて分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。そこに、分類と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。

一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。


分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘(宇宙)の中に秘められている。



ゝについては一なるも、〇においては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。


一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。


神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。


しかし、大歓喜にまします太神のゝは、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。


※ 私はこの「大歓喜にまします太神のゝ」を、天の川銀河の中心と捉えますが、皆さんはどう思われるでしょうか。



失礼ながら、以下を省略致します。
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シリウスの大天使ヘルメスからのチャネリング


『プレアデス 神聖なる流れに還る』
Part3 宇宙的な時のサイクルとの連携
六章 過去、現在、未来―それらを超越する今

シリウスの大天使ヘルメスからのチャネリング 1997年2月



ヘルメス
聖なる光の兄弟姉妹たちよ、私たちは、地球上で長い間起こっていなかった目覚めをあなた方に呼びかけるためにここにいます。


ある意味では、それは今まで一度も起こったことのないものです。なぜなら最後の惑星の目覚め以来、地球上ではたくさんの学び、たくさんの新しい体験がなされてきたからです。


その視点から見れば、来るべき大いなる目覚めというのは、かつてあった以上のものです。


とはいえ、地球上では大いなる目覚めの機会は何回もあり、あなた方はすべて、ある程度それに関わったことがあったのです。今、それを思い出してほしいと思っています。



あなた方の多くが忘れてしまった理由は次のようなものです。偉大な時代を思い出すとき、人間は喪失を信じこんでいることから、過去のすばらしさと、それが終わったがために転落したのだという悲しい思いこみとを一緒に考えてしまうのです。


これは大きな誤りです。実際、創造とは周期的に進んでいくものだからです。私たちは、人間の意識がものごとに対してある特定の思考パターンをもつのはなぜなのかを純粋に理解しようとしつづけています。


あなた方がある傾向をもっていることはわかっています。そして、何が必要かということもわかります。しかし、あなた方がなぜ自分自身を誤らせるような傾向や思考パターンに戻ってしまうのかを、必ずしも理解しているわけではありません。ですから、私たちが高次の展望をあなた方に思い出させるとき、あなた方が超越性へと進化していくにつれて、私たちもまたあなた方から学んでいるのです。


※ かつての人間が神とも思った大天使ヘルメスさえが、正直に説明してくれます。

この視点の違いの意味は、ひふみ神示「じしんの巻」第一帖に表されています。遡って読んでください。

けして彼ら高次の存在に力がないのではなく、各次元の関係というものが明かされているわけです。




私たちが今注意を向けてほしいと思っている思考パターンは、トラウマ的な何かや、大いなる目覚めの時代を終らせてしまったような何かが起こったとき、どういうわけかそのトラウマやダメージや喪失が目覚めのせいであると思いこみ、大いなる目覚めとの続きを読む
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飛騨への道


「私が望んだからだ」とは、このブログを読まれた方には今の私の捉え方だとお分かりだと思う。あの時にそんな意識はなかった。


ただ、「鴨」は京都下賀茂神社の祖先では?と、漠然ながら「秦一族」を学習していた私には感じられた。何故感じたのか、分からない。


私は小さい頃からパズルを当てはめるような思考性をもっていて、身内の誰よりも速い。パッと反応する。


しかし、正直に言えば、まさかこんな展開になるなど予想も出来ない。山本健造先生の飛騨高天原天孫族の前に、何者かが日本の歴史隠しをしていたのではないか、だから私の眼はずっと三角型鳥居から離れなかった。


悪霊の感応といい、私に必要なものは既に起こっていたし、ひふみ神示に出会う五年六年、人には言えない日々だった。


私の生まれた地に、今や忘れられた「豊国神社」がある。もう以前の神社の形ではなく、「キツネ」神社の様相として残っている。この辺りが私たちの遊び場だった。


地域の運動団体のボスが、神社の歴史を調べたら、あの伏見稲荷より古いのだという。ボスはそれを自慢し、八幡宮との関連を話していたが、間違いではなさそうだ。


古い時代、「豊」と表す地は宇佐の辺りである。今や地元の人間も社のいわれを知らない。


文字通り新しい地が、豊かな実りをもたらすことを祈念した名残か。


必要なものはやって来る、それは私の体験からしても事実だと、話しておきたい。
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祖父に教えられた


しかし、それでも、叔父さんの行き先は誰にも言わなかった。だが、祖父が入院した。


祖父は唯一の心配と言えば、長年、自分の身の回りを世話してくれたこの叔父さんの事だった。私はここでも、身内の誰一人知らない祖父の思いを聞かされた。


私は祖父に叔父さんの今のことを話す時だと知り、祖父に話した。祖父は理解した。今にも死にそうな人が、「そうか、そうか」と安心したのだった。


祖父は神社に対しては偏見はなかった。叔父さんが若い頃に信心した、仏教系の団体よりは安心した。


そして、今は、祖父が毎日朝に向かった神棚に、神道の作法をもって叔父さんが祈っている。その神棚には、祖父の名前が書かれた紙が置かれている。


祖父は叔父さんが祖父のこずかいにと渡したお金を、貯金して残していた。「これはな、〇ちゃんの通帳や」、私は見届け人になり、叔父さんに引き継いだ。


病院で祖父の容態が変わった時、真っ先に私が呼ばれた。私は車をとばし、叔父さんを百キロ以上あるその地に迎えに行った。それが私に任された仕事だった。


「わしの生まれたのは、大和の高市郡鴨公村や」、「蚕を飼ってた」………


祖父はまた宿題も与えた。私が望んだからだ。
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「導き」を再確認した出来事


今から十年以上も前に、母方の橿原の祖父は亡くなった。祖母は私が二十歳の頃に既に亡くなっていて、祖父と一番下の叔父さんが一緒に暮らしていた。


あることで祖父の「生い立ち」を聞き、カセットテープに録音した。叔父さんは、若い頃から「美男子」で才能に恵まれていたから、仕事以外へも自己を発揮出来る場を求めていた。


つまり、週末は祖父は一人で家に居た。


身内は「適齢期」を過ぎて嫁さんをもらわない叔父さんを、何時も週末に何処に行っているのか知らなかった。私とこの叔父さんは五歳しか年齢が離れていないために、皆は兄弟のように見ていた。私が叔父さんの行き先を知っていると思っていた。しかし、本当に知らなかった。


叔父さんとてさまざまな事があり、悩み、苦しんでいた。兄弟姉妹のように「身を固める」ことは、自分の才能を知りたい人には目が行かなかった。


だが、そんな生き方を認められないのが、田舎の独特な人間関係というものだ。「まだ嫁さんもらわへんのか」は、「もうそろそろ、夢とか青い事は考えるのを辞めて、世間並になれ」ということだ。


才能に生き方を見つけたい人が、「世間並」を嫌うのは当たり前だ。だが、世間はそれを異質と見る。


叔父さんがどういう道を歩いて、今の生き方に至ったか、私はうっすらと知っている。しかし、誰にも言わないし、誰もが理解出来る事ではないと思っている。


人の中に出ると一際目を引く人である。私も世間並に言えば、違うオーラを持っている。それを私たち二人に特有なものとして、親戚や地域の人々は見て来た。


しかし、望んでもいない人目を引くものは、その本人をひどく疲れさせる。まして芸術肌のセンスの良さが輪をかけてしまう。本人が標準とする美的な感覚は、田舎には異質と映る。これが叔父さんの悩みの始まりだった。


さて、そんな叔父さんはある人との出会いで、神職になった。今や叔父さんは、自らが悩まされてきた才能を自覚し、北の土地で人の相談を受けている。



その神社の道を、私は知っていた。しかも、神社へ入る「目印」は強く記憶されていた。仕事仲間とチヌ釣りに行った時のことだった。祖父が亡くなる数年前の事である。叔父さんにも話してはいない。


叔父さんの才能の根元は霊感であった。もっと言えば、我が一族には霊感の強い人がいる。私の母親もそうだ。

しかし、霊感は人を悩ますものでもある。


私が気功を始めた事、続きを読む
ニックネーム 龍 at 13:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月28日

国立民族学博物館


大阪吹田市の「万博」跡の博物館では、来る9月13日から12月11日までの間で、


「オセアニア大航海展―ウ゛ァカモアナ、海の人類大移動」が開催されます。


一般 1000円
高大生 500円
小中生 300円



また、9月15日(土)だけの開催で、「空飛ぶカヌーと沈む船―『オセアニア大航海展』によせて」もあります。場所は「講堂」となっています。


国立民族学博物館
電話 06―6876―2151


秋の始めに、博物館の隣の日本庭園を散策するのもいいかも知れません。
私の好きな岡本太郎さんの「太陽の塔」も近くにあります。
ニックネーム 龍 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

『レムリアの真実』


『レムリアの真実』では、シャスタ山の地下都市テロスからの教師が登場しています。名は、アダマといい、人類の教師らしいです。

「テロス・ワールドワイド・ファンデーション」は、「使命」を持つ団体とのことです。前にも書きました。



『プレアデス 神聖なる流れに還る』には、1985年8月に初めてシャスタ山を訪れたアモラの文章が、P106〜書かれています。


アモラの文章は難しいですが、私には肩のコルようなものではありません。それよりはワクワクしてきて、「そうだよな」「そうなんだよ」「へぇ〜凄いな」と、時間を忘れる楽しみに満ちています。


アモラさんの現在の顔も柔和で、もう女とかの雰囲気を超えています(あっ!これって誉め言葉になってないかな〜?)。


その顔は懐かしささえあります。グランマの雰囲気です。若い頃とは違ってきました。


さて、『レムリアの真実』は、プレアデス関係図書を出版された「太陽出版」から出されました。


『プレアデス 神聖なる流れに還る』は、違う出版社から出されました。どうでも良いことなのでしょうが、新しい出版社です。


レムリアの真実を探しておられるならば、アモラの文章を読まれたらどうでしょうか。きっと、扉を開けてくれますよ。
ニックネーム 龍 at 18:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

AFFINITY(アフィニティ)


『プレアデス 神聖な流れに還る』Part2
ミステリースクールと光の都市のつながり


P94〜

………少し説明させてください。現在においても過去においても、地球上には多数のミステリースクールのシステムがあります。


各システムには、等しく長所があります。覚醒や悟りやアセンションにはたくさんの方法があるのです。


私は本章でドルフィン・スター・テンプル・ミステリースクールを紹介したいと思います。これはそれらのシステムのうちの一つにしかすぎず、これに引きつけられる人もいれば、他のところに引きつけられる人もいます。

これは個人個人の周波数が独自でありさまざまなので、私たちを真の自己へと連れ帰るスピリチュアルなシステムにも独自性と多様性が必要となるためです。


※ 貴方も感じてこられたように、「方法」はいくらもあって良いわけです。




ニューエイジの中には、まだかなりのエリート意識と、人より一歩先んじたいという意識があります。


あるグループは、自分たちは正しく他の人たちはすべて間違っていると思いこんでいます。


グル(師)の必要性を信じない人々は、グルに依存している人々を、自分のパワーを渡すのは間違いであり時代遅れであると批判することでしょう。グルの弟子たちは、彼らと同じ道を選ばない人々を、【信心深くない、スピリチュアルにゆだねていないとして批判するのです。】



私は、真実と覚醒とアセンションの道を歩むすべての探求者が、【互いの違いに敬意を払い、「多様性の中の一体性」という愛に満ちた原理を受け入れてほしいと願っています。】実際、他のものが間違っていると証明することによって、正しいものであろうとする必要はないのです。私たちはただ、あらゆる人々とあらゆる道の中にある神/女神のたくさんの顔を愛し、感謝することを選択すればよいのです。



【私たちは、「ただ一つの唯一の道」を求める代わりに、私たちの独自性を賞賛することを学び、さまざまな形の個々の独自の表現を与える神聖なる計画のすばらしさを認めることもできるのです。】

【それが最善の道、ただ一つの真の道であると主張する教師や道には顔を背けて、他の方向へ歩むべきです。】

※ アモラが言う「警戒」の意味は、それらが人々を「取り込もう」と動きを強めているためでしょう。

「そこに行く」ことも必要だとわかりますが、もし誰かに相談を受けたなら、「唯一の続きを読む
ニックネーム 龍 at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

親父の仕事ぶり


祖母が私に言ったことを思い出しました。


終戦前、親父は八歳か九歳でした。祖父は出稼ぎで家に居ず、畑を祖父から任された親父は、リヤカーにコエ桶をつんで京都の北の方まで「肥料」を探しに行ったといいます。


そのような少年が、大きなリヤカーをひいて、臭いにおいがする「人糞」をもらいに行くということは、並のことではありませんでした。何故なら、「人糞」しか肥料がない時代、それには汲み取る「縄張り」があって、新参者に汲ませる家はなかったからでした。


京都の北までは約五十キロ以上はあり、「人糞」と引き換えの野菜をリヤカーにつんで行くわけです。祖母はこの話をする時いつも涙ぐんでいました。「ほんまに可哀想やった」、そう何回も私に言いました。私もちょうどあの時代の親父の年齢を越えた頃でした。


偉そうにされただろう。嫌がらせも受けただろう。まして小さい子が知らない土地で何が出来たろう。祖母の思いはそれらを伺わせていました。


テレビで放映された映画「蝉しぐれ」のワンシーンが、父親の遺体を運ぶシーンが何故か、私にはその頃の親父の姿に重なります。


「人糞」の臭さを知らない人もいるでしょう。そんなものを積んだリヤカーが家に来たら、「あっちに行け!」と怒られたのだとわかります。だから、朝といっても暗い内から親父は出かけたわけです。


しかし、五十キロ以上の道のりです。昼になりました。「可哀想やった」という祖母には、その時の情景がありありと見えていたのでしょう。



私は泥の付いた働く人々に、いつも、祖父や祖母を見て来ました。親父を見て、つながる人々を見て来ました。

飛騨天孫族の物語は、そうした働く人々こそが勇者なのだと教えてくれました。だから私は、この視点を与えられた今生に感謝したいのです。


こんな男らしい、たくましい、人間らしい人々が祖先であって本当に良かったと気づきます。
ニックネーム 龍 at 12:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記

「食事は一日二回」


朝に食事を家でして、昼間は田や畑や山で働きます。だから、ひふみ神示にあるように「一日二回」の食事で人間はしっかりと働くことが出来たのでしょう。


祖先たちはそうして働き、夕暮れになったら家に帰ったのでしょう。それが標準だったのです。体は鍛えればそのようにして重労働にも耐えうるわけです。


貴方は絶食の経験がありますか?
あれを経験すると、「食べないと」との強迫観念から少し冷静になれます。


カロリー計算とかの理屈より、「体が教えてくれる」体験を覚えます。体の「命令」に従えますから、こんなに体思いのことはありません。


「食べないと死ぬのではない」「食べ過ぎるから具合が悪くなる」とのひふみ神示を、成程と、わかります。
ニックネーム 龍 at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

夏のアゼ草刈り


私がまだ中学生だったか、夏休みに、親父が朝急に「アゼ草刈り」を言いました。


親父は仕事に行きますから、私一人で田んぼのアゼの草を刈れと言うのです。親父は元から無口で、言ったのはそれだけでした。


親父が何処からか出してきた鎌と、使い方の知らない「研ぎ石」があって、水筒帽子もかぶらずに出かけました。田んぼは一反七畝ほどありました。


親父は無口、祖父はもっと無口で、私は仕事のやり方を二人から聞いたことがありませんでした。私も単純に、刈れば良いと考え、黙々とアゼ草を刈り出します。


夏の陽射しが頭の上から注いでジリジリします。単純に終らないと帰れない、終らないと休めないと考え、休憩も水も飲まずに働きます。


何故そんな「無器用」な事をしたのか、今なら笑えますが、私の頭の中には、田んぼ仕事というものは、親父や祖父の「あのやり方」しかないわけで、二人を見習い黙々と働いたのです。


しかし、スピードは落ちて、鎌は切れ味を失い、持って来た研ぎ石で鎌の刃を研げばいいのに、それすら分からなかったのでした。


腰を伸ばし、「アァ〜」と言ってうらめしそうに太陽を見上げるのが一時の休憩で、頭には最後まで仕上げないと帰れないという「強迫観念」しか無いようでした。


昼飯など持ってきてはいず、なんとぶっ通しで夕方まで草を刈ってやっと半分以上が刈れたのでした。


さすがの親父が心配して田んぼに来ました。私の様子を見て、「もう帰れ」と言いました。水も飯もくわず、働いた息子に少し驚いていたようでした。



晩ご飯の時に、「あの梨畑で休んでもええんやぞ」とだけ、親父はヒントをくれました。私は、「そんな休憩の仕方もありか」と思っただけで、「あの石の使い方がわからん」と言いました。親父は実際に鎌を研ぎ石でとぐところを私に見せました。


この出来事は私に多くを教えました。


私の身内の田んぼでの仕事は、誰も休まないのです。休まずに最後までやる。休む時は「長」が「休もうか〜」と言わなければ休まないのです。「長」は親父です。


今なら笑い話です。
しかし、今の私は遠い祖先を知る人間ですから、こうした「正直」さ(馬鹿「正直」でしょうが)は、古代には当たり前の感覚だったように感じます。


飛騨から降りて原野の開拓を目指す。
その厳しく自身に課した仕事のやり方は、かつての日本人がハワイでブラジルでやった開拓の歴史の事実です。

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ニックネーム 龍 at 11:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月27日

天の川銀河の「ブラック・ホール」


この私たちの銀河の中心は、ワンネスの投影によってもたらされているならば、各銀河はまさにワンネスから生まれた子供のようです。


天の川銀河の中心から、フォトン・ベルトの偉大な光の帯が放たれています。銀河自身が回転しているために、フォトンの光の帯は少しよじれ、見事な幾何学形態を成しています。それは、まるで神が放たれた触手のように、銀河の中の子供たちの星を撫でさすって行きます。


宇宙とは、そのようにして星系を維持しながら、それぞれの聖なる体験が集められていきます。もう地球を土くれなどと思い、自分自身の体験をつまらないコトだと思う一切の幻想から飛び出さなければなりません。


地球が生きていることが分かれば、太陽系のわが兄弟姉妹たちは、太陽系の星々は見事な調和を重ねながら回っているのだとわかります。


視点を変えて、貴方も五次元プレアデスの情報を学んで、そこから世界を見られたらどうでしょうか。


脳も鍛え、肉体も調和させて、ぜひ五次元プレアデスの愛に浸ってください。
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「私は在る(アイ・アム)」存在の誕生


『プレアデス 神聖なる流れに還る』第一章 17頁〜


……記録を始めたとき、私はすでに深い催眠状態に導かれ、必要な深いレベルに達するために個人的な浄化を体験していました。エロヒムの集合意識は、私への、そして私を通した一つの声として語っています。記録は続きます。


※ エロヒム
原初の創造に関わる光の存在。
「恩寵」「神聖なる愛」「神聖なる純真無垢」「神聖なる真実」など多数の神の本質の光を司る複数の存在。




エロヒム

私たちがエロヒムとして集まったとき、私たちは「神/女神/すべてなるもの」、「これまですべてであるもの」、「これからすべてであるだろうもの」の原型としてあなたが考えているものでした。

創造以前には、ただ、ワンネス(一つであるもの)だけがありました。


※ この宇宙が始まった頃のことです。



ワンネスが「私は在る(アイ・アム)」という気づきを得たとき、ワンネスの中に神聖なる思考が生じました。それは、ワンネスが存在するという認識でした。


エクスタシー(至福)から声がしました。

「私は、私は在るというものである」(I am that I am)。

そして
「私は、私は在るというものである」から唯一神としての気づきが生じ、その気づきとともに、他のものへの投影を通した体験への願望が生じました。


※ 体験への願望が生じました。

これこそが、私たちの存在しているすべての根源の意味でしょうか。




他には何もありませんでした。唯一神だけしか存在せず、唯一神がすべてでした。


唯一神は、自分自身を客観的に見るために、みずからを自分自身に投影することを選びました。その客観的化が神となったのです。神は部分となりました。


投影はもう片方の中に愛を見てふたたび結びつき、唯一神となりました。


再結合の体験があまりにすばらしかったので、ワンネスは、再結合するためにふたたび自分自身を投影しました。


そして、聖なる結合の誕生により、投影された自分と自分自身とを再結合させることを体験するという願いが達成されたのです。


いわゆる何十億あるいは何兆世紀にわたってこのプロセスが起っていたとき、ワンネスの中には、投影された部分と自分自身から、存在と同時に客観化というものを知りたいという願いがありました。


そのようにして起った客観化の神聖なる火花からエロヒム評議会(訳注 さまざまな続きを読む
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2007年08月26日

女龍王 神功皇后


『女龍王 神功皇后』は小説家・黒岩重吾さんの作品だが、私は五次元や六次元の視点があれば、特に黒岩さんのような勉学者の書かれた文章は、充分な資料になり得ると考えている。




45頁より

四世紀頃、出雲に龍神信仰があったことは、『古事記』のホムチワケ王子の挿話(そうわ)からも窺(うかが)える。


三輪山の山麓(さんろく)に宮をつくり、初めて天下を治めたとされる王は崇神帝である。(私は当然、サヌ命様が初めての大和の王だと思います)


二代目は垂仁帝だが、帝には生まれながらに口のきけない王子がいた。垂仁帝はホムチワケ王子について悩んでいるうち、王子は成人した。髭が長く伸びたにもかかわらずしゃべれない。


或る日ホムチワケ王子は、池で小舟に乗って遊んでいた。空を白鳥が飛び鳴いたのを聞き、アゴを動かして声をはっした。垂仁帝は白鳥を与えたならしゃべれるようになると思い、使者をつかわして捕えさせた。彼は様々な国を追い求め、最後に越の国で捕えた。だがホムチワケ王子はしゃべれなかった。


その後垂仁帝は夢を見た。神が現れ、自分を祀(まつ)る社(やしろ)を王宮のように造れば王子はしゃべれるようになるだろう、と告げた。


垂仁帝は、占師に鹿の肩の骨を焼いて占わせた。その結果、王子がしゃべれないのは、出雲大神の祟りであることが判明した。出雲大神はスサノオノミコトの子・大国主である。


垂仁帝は二人の王族をホムチワケ王子に添え、出雲につかわした。

ホムチワケ王子は出雲に行き、大神の社に参拝しヒイ川まで戻り仮宮で一夜を過ごすことになった。その際、出雲国王の祖先が食事を差し上げようとすると、王子は初めてしゃべったのである。


その夜、ホムチワケ王子は、ヒナガヒメとまぐわった。ヒイ川の姫である。


ホムチワケ王子がどういう女人だろうか、と寝入ったところを覗いて見ると彼女は大蛇であった。仰天したホムチワケ王子が逃げるとヒナガヒメは、悲しみ恨み、海原を照らし船で追って来た。ホムチワケ王子は山が低くなったところで舟から降り、山を越えて逃げ、大和に戻ったのである。……………



※ またも大蛇であり、大国主である。その大蛇は龍神とカモフラージュされたが、蛇の一族=出雲教一派であると視点を変えれば、大和の帝(天皇)一族は出雲族に狙われたままであると判る。


神功皇后を架空の方だと言う人がいる。神功皇后のサニワ、スクネは立て琴を続きを読む
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三次元の視点


たとえばこの現在の地球上の陸地が、ずっと前から同じであって、大陸中国なども同じだとして歴史を扱えば、大陸中国はいかにも人類の発生する条件や進化する条件は、日本列島よりありそうに見えます。


あんなに広い陸地があるのでは、日本列島なんかよりさまざまな条件が考えられそうに見えます。しかも、西側はヨーロッパ、北はロシアまでつながっているわけで、狭い日本列島よりは「豊か」に見えるわけです。


しかし、本当は違いました。大陸中国は、初めから今の形ではなく、地球上の地図にはないかつての地図が、プレアデス人の地図にはあるのです。


ひふみ神示の島生みの様子が、プレアデス人の地球地図から少しだけ覗けるのですが、歴史を問題にする人が、プレアデス人の情報やひふみ神示の情報を「材料」として扱い並べられない為に、こうした情報がまったく生かされてはいません。


人間はまったく新しい情報というものを扱わず、この地球上の三次元世界だけの材料で探しものをするわけです。


シュメール文明がアヌンナキによる無明であると、そんな視点の歴史書であれば少しは良いのですが、日本の歴史書のどれを見てもそんな視点はありません。無いのに、日本には縄文文明があったと言っても信じず、大陸中国からの移入文明は信じられるというのです。


スピリチュアル関係も同様で、外国のスピリチュアル図書は「豊か」に思って、知識の量をレベルと勘違いした人たちがいます。やたら難解な用語を使い、新しい情報ばかりに視点がいき、やがて混乱するのです。



飛騨の人々が仁義や情を重んじた、と書けば、やたら前遺物的な感覚に襲われ、自分たちの祖先を正しく見ることすら出来ません。飛騨の大工の匠たちの作ったものをご覧ください。その素晴らしい仕事ぶりに、祖先の精神性が現れています。


新しい用語や情報ばかりを探し求める精神性は、若い人たちが新しい洋服やファッションに操作されている状況と何ら変わりはないのではありませんか。私たちは覚醒を課題にしているわけであり、優劣を競っているのではありません。


つまりこれらには、新しい情報を受けとる内面がないのです。無いのに新しいもの好きなわけです。三次元の「選択」をプレアデス人やひふみ神示においても扱い、覚醒だスピリチュアルだと言いながら、光だと言いながら、自ら進み行く勇気すら無いのです。


祖先を自己を低くし、覚醒にレベルを設定し、中には続きを読む
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飛騨高天原の視点


歴史書は大量にあります。どれも過去の重要資料や史跡などから視点を得て、作者が判断して書かれます。人はそれぞれですから、同じ資料を参考にしても意見は異なります。


それはまるで、一枚の織り布を縦糸と横糸で編むような作業です。

もしこの作者たちが織りこんだ布の中から、たとえば必要な赤い糸だけを探しだしたら、たいへんな量の文章になるでしょう。そんなたいへんな量の歴史書はたくさん出ています。


仮にそれらを「三次元の視点」と呼びましょう。「問題」があり、その「解決」の糸口を探り、重要資料などで「材料」を並べ、後は仕上げの「料理」となります。


しかし、この方法ではおそらく、飛騨高天原天孫族は明らかに出来ません。


次に、「神道」から探しだす方法があります。しかし、これも道を間違えそうです。何故ならば、神さえ未だに分からないからです。まして、私たちが認知する神は、異星人である可能性があります。仮にこれを「四次元の視点」と呼びましょう。


すると、三次元や四次元の視点では飛騨高天原天孫族は探せないことに気づきます。私たちに探し出す力がないのではなく、手がかり重要資料などが一切ないからです。


「分からなくなればどうするか?」、そうです、視点を「上げれば」良いのです。


プレアデス人は常にこう呼びかけます。「思い出してください」と。「気づいてください」ではなく、「考えてください」でもありません。常に「思い出してください」です。


何故なら、もう霊的な指導者を求める時代ではなく、貴方がマスターになるのであり、貴方の魂の記憶の中に既に必要な情報は収められているからです。


言い替えれば、過去の人生において必要な情報を知るすべを貴方が知っていて、情報の保存場所にアクセスするだけでいいからです。

その情報の場所は何処でしょうか?
三次元や四次元ではなかったですね。
ならば、五次元や六次元ではなかったでしょうか?


少なくとも日本人の守護存在、天照大神は、四次元にはおられないのです。波長の違う世界に居ることは出来ないからです。


地球の図書館は四次元にはないのです。少なくともつながる波長は、四次元では駄目なのです。


つまり、私たちに五次元や六次元の視点がなければ、山本健造先生の飛騨高天原天孫族はつかめないのです。


これを詭弁だと言う人がいるでしょう。ならばあなたは、三次元的思考で過去何が出来たか考えて続きを読む
ニックネーム 龍 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月25日

「日本は最後に勝つのぞ」


それを、科学技術革新とか「日本人の優秀性」とかに依拠しているようでは、何も「勝つ」ことなど出来ない。

この神示の意味を、私は、縄文日本人によって守り磨かれた日本人の生き方に見つける。土を耕し、野菜食べる暮らしである。


天然・自然からの材料で生活道具一式を作ってきた、その自然サイクルの中に自らを置いた暮らしである。


この文明こそが光であり、西洋文明を超克するものである。


生命の力強い加護を受けた暮らしであり、光の中に溶けこむ核心を持った在り方である。

これ以外の在り方など無く、生命体を虐待した幸せなど無い。無いものを有るかのように装おう文明だから、無明と云われるのである。


わが縄文日本文明は、光の文明である。故に、「最後に勝つ」のである。
ニックネーム 龍 at 10:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

ひふみ神示「同じことは二度ある」を考える


「この世のコトは、まず霊界から起こる」


四次元霊界が「澄んで」いれば問題はない。だが、四次元霊界は低層四次元に「汚され」ている。この「汚され」、「歪められた」霊界から起こるコトは、当然に何らかの意図を持っている。


人間世界に「そのコト」が波及し、物事が「引き起こされる」。人間は、その「歪み」ゆえに悩み、苦しむ。


たぶんに霊的に操作されている出来事であるから、霊性を大切にされる精鋭の御霊を苦しめる。


それが、「宗教」に見られる。しかし、精鋭の御霊は道を探され、その操作された「苦難」が人を変えてもきた。


この人間世界における「時間」が大事だと、高次元は常に「判断」している。考える人間、自らの責任において「操作された問題」を解決しようとする人間、この「時間」は、それこそが霊止(ひと)の命の使命であるからだろう。


そして、次には、一度目のコトに気付けと、課題を含めた波動を高次元から送られる。



かつて大本において、「天照大神の岩戸隠れ」を題材にしたコトがあった。王仁三郎は開祖の意見に従わない。開祖は「お堂」に籠られる。


しかし、真実の岩戸隠れは、天照大神につながる天孫族隠し、縄文日本人隠し、「あ」の御霊隠しではなかったか。


日本の霊的に未熟な部分をついて、海から来た者たちが、日本を乗っ取ったことを隠したのがこの「岩戸隠れ」の真相である。


つまり本当に隠れているのは、飛騨高天原天孫族ではなく、天照大神でもなく、隠れて日本人を操っていたモノなのだ。


王仁三郎は、その隠れているモノが祖としたスサナル命を、カムスサナル大神とした人である。それはある意味、大本教の乗っ取りではなかったか。


開祖の神を「国常立大神」とサニワしながら、「三千世界の立て替え建て直し」と口では言いながら、彼は独自の神観を説くのである。


それは、古代の日本人の「上」を「神」としたモノたちのように、数々の経典や残された教えを駆使した王仁三郎の「世界」なのだ。

王仁三郎は神の岩戸を開いたか、彼は自らの神観を広めようと、開祖の意見を聞かず、独自に動いたのである。

天照大神を騙したのは、神主たちである。そして王仁三郎は、開祖を利用などしなかったか?



一心に神の言葉に従われた開祖と、変質した王仁三郎とでは、天照大神の岩戸隠れの真相はまったく異なる。


開祖はかつての縄文日本人であり、王仁三郎は外国かぶれ続きを読む
ニックネーム 龍 at 08:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

世界の人々が


世界陸上が男子マラソンからスタートした。

七時前からヘリコプターが数機飛び、バタバタと気ぜわしい。テレビは長居陸上競技場を写し、上空からの映像は風ちゃんの生まれた植物園を写し、公園から公道に出る所では、ホームレスが強制的に立ち退かされた場所を写す。


沿道に出て応援する人々の中には、昨日も近くのスーパーで買い物をしていた人が居るし、パチンコ屋で熱くなっていた人が居る。たこ焼きをいつもの店で買った人が居るし、馴染みのマスターのいる店で飲んだ人が居る。

変わらぬ日常を過ごした人々が、朝早くから知らない、言葉を交したこともない、世界の走る人々を応援している。スタートしてから十八分くらいで、このマンションの前を選手は走り去る。


そして後続は、それから二分三分と時間が過ぎた頃にやって来る。沿道の人々は拍手をして、独りで走る後続の選手を向かえる。


その人が世界の何処の国から来たか人々は知らない。だけど、先頭集団からかなり離れプレッシャーを感じながら走る人に、拍手は同じくらいある。


彼に拍手は届いている。私も遅れた選手に声援を送った。


この世界で、もう会うことも無いかも知れない人に、話すことも無い人に、互いにお茶を飲むこともないだろう人に、それでも人々は声援を同じように送る。


孤独なランナーは一時、その重荷から解放されるかのような時間、彼はいい顔をしている。


私も誰かに、見たことも無い人に、話すことも無いだろう人に、このフィールドで声援をおくっている。


頑張らなくて良いから、しっかりと前を行こう。頑張らなくて良いから、自分を大切にして行こう。頑張らなくて良いから、競争しなくて良いから、自分の時間を大切に自分を大切に……………。


このテレビの人々も、実は「特別」な人じゃなく、私たちと同じ日常を持った人々なんだから………。貴方も走っているんだから……。貴方を応援します。
ニックネーム 龍 at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月24日

ノアの箱船


ノアとは誰か、それは箱船が宇宙船だと知れば分かる。ヤーウェイ、それは、アヌのアヌンナキ一族であり、エルビス・プレスリーにそっくりなヤハウェイは、地球支配の管理者である。



彼等は金髪、白い肌、青や緑の眼を好み、それらは彼等が嫉妬した高みの存在の姿・形であったかも知れない。つまり彼等は、自らの姿・形にある種の劣等感を持っている。


地球人類が50万年30万年と一貫して継続しているならば、そのような一貫した人類としての古代が問題となるが、幻想である。


この現代「無明文明」は、その始まりからして光とは反対の流れとして発生させられていたことを、はっきり確認しなければならない。


ある作家は、聖なる柩には兵器が乗せられていたと書いている。その兵器は、レーザー光線であり、敵の部隊へと放射され、敵を殲滅する。


そのような殺人兵器を、「神」の与えられたものとして崇めている。作家は嘘を書いていたと、今日の情報からして言うことに疑問すら沸く。


大気圏、成層圏に「レーザー光線」を放つことすら、火星においてリラ人は行ってきた。彼等は、本当に学ぶ意欲があるのかすら疑わしい。彼等の生とはいったい何か、そんなことすら想う。


人間は闇が強力であると、闇に逆らえず、光などはいつも届かないと、そうすり込まれ、カルマとしてきた。


しかし、全ては光から生まれたのである。全ては唯一の存在から生まれ、成り鳴る過程において闇が生まれたに過ぎない。つまり、人間は光に出会えていないのだ。いや、自らが光の存在であると知らないのだ。


この地球で闇が学ばないと、彼等はいよいよ孤立無縁になってしまう。光に反して何が出来るというのだろう。

そして私たちも、今だかつて見たこともない光に出会う。光の連続した実像を知る時が来ている。それはもやは、光と呼ぶことさえ当てはまらないだろう。

何十機、何百機の宇宙船が来たところで、その背景こそが主役である。金属型の宇宙船は、それこそ古代の遺物にしか映らないだろう。ハリウッド映画が総力を挙げて描いたとしても、たかが金属型のオモチャしか描けない。


ハマキ型のオモチャのような宇宙船は、物語の主役ではない。この際に異星人は、ウロコ状の角のある種族は脇役に過ぎないことが分かるだろう。


光の存在は姿・形は自由であり、私たちが望むならば、どんな姿にでもなってくれる。これ以上は書いてもキリがない。その暖かみ続きを読む
ニックネーム 龍 at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

台風のごとき渦


私は今では、たくさんの方のブログを見るようになった。


一頃は「ムカついて」いた波長もあって、その波長の視点のブログに気が行ったが、どうやら流れに乗れて、もう「ムカついたり」「批判的」になったりしなくてもすむようにはなった。


あるブログに、「アメリカ副大統領チェイニー逮捕」の情報が載せられている。あり得ないことではなく、アメリカ軍部の一部反体制が何らかの行動を起こすのではないか、と伝わっていた。


また、アメリカの方々の発信される情報にアクセスされる方が増えて、情報の質もかなり変わってきている。これらの動きは加速し、あっという間に広がる。「内部告発者」は間違いなく増えている。


さて、このような状況の際に、私たちの視点はどうあるべきだろう。


そう、「わからなくなれば、上がる」のだ。

四次元を見る眼が五次元のレンズであったように、この台風のごとき渦を「上から見る」視点がいる。


そう、四次元は、今、「台風のごとき渦」の中にある。そして、次は順をおって三次元に反映する。しかし、本体の渦は、もはや一つ二つではないだろう。


四次元の「壁」に、五次元から九次元までの「渦」が同時に「降り注いで」いるのであり、もはや、多次元的に「渦」は起きているわけである。世界同時に、多様なる「渦」=動きが、必要な場所に必要な事が、起きているのだと見なければならない。


私たちはこの台風のごとき渦を、宇宙空間を思考し「見る」ことが出来る。台風の「すべて」を見る視点を持つ。


政治、経済、医療、科学、………あらゆる分野で、「渦」は起きている。左回りの「渦」に、生命を活性化させる偉大な「渦」がやって来ている。


植物が活性化し、虫たちが繁殖する。そこに偉大な「渦」の働きを知ることが出来る。
ニックネーム 龍 at 08:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月23日

縄文日本隠し


飛騨天孫族隠し、すなわち、日本縄文人隠しは、地球古代人がかつて霊性を獲得していたことを隠すことである。


それは大洪水によるところの、一万二千年以上にわたる地球における歴史隠しであり、大洪水後の「主」=異星人によってもたらされた「神」による歴史である。


しかし、飛騨においては霊性への修養は続けられ、それを「日抱きの御魂鎮め」として残した。


「中つ世」はいつ始まったのか、「元の世」とこの「中つ世」の間にあったものは、数回にわたる地球大異変である。そして、その大異変の最も新しいものとして、大洪水を想起しなければならない。

少なくとも我々の現「文明」は、あの大洪水後の「文明」である。そしてこの「文明」の発祥地はかのシュメールにある。


一人の何の「背景」を持たない歴史家が神の足跡を探すとき、膨大なる資料の中で旅をすることになる。しかし、「背景」が仮にあったとしたら、その資料なるものの出自を考えなければならない。


その資料は、「神」を擁護する側にあったのではなかったか。


「神」が一握りの人間によって造られたように、その「資料」は人間が、誰かが、「神」を人々に認知させる為に、やはり造られたものではなかったか。


「中つ世」の「神」が異星人だと分かれば、「神」に関する一切の資料なるものを、我々はよほど注意する必要がある。



たぐいまれな歴史家がかつて現れ、我々の視野にない資料を提出するとき、それが「偶然」に起きることは考えられないから、我々はたえず注意の「アンテナ」を張り、その「背景」を思考する必要は必然である。



日本縄文人がかつて中国大陸へ進行した、かつて「神」を知る民が大陸・朝鮮半島から出現した、これらは縄文日本人を知らぬ知ろうとしない論拠である。

これらは「宇宙から助け人が現れる」とするような論拠であり、フォトンによる効果ばかりを期待するような内容ではないか。


次元に優劣などないように、地球における各民族の覚醒に優劣などあるはずはない。「高く」という想いの相対化が自己の「低さ」への認識であるように、我々は一切のこうした幻想を克服せねばならないのだ。


「背景」とは何で誰か、それは縄文日本を隠した出雲教信仰者たちではないのか。出雲教信仰者であるから彼等は、あまりに他「文明」に詳しいのではないのか。


「背景」が資料が、ある一人の「天才」によって明らかにされるという間違いは、続きを読む
ニックネーム 龍 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月22日

プレアデス 神聖なる流れに還る


『プレアデス 神聖なる流れに還る』アモラ・クァン・イン 著
穴口恵子 監修
別府はるみ 訳


綺麗な装幀の本だ。AFFINITYの文字がひときわ眼につく。


まえがき

スピリチュアルな目覚めと悟りのコツ―それは自分自身の神聖なる本質とのつながりを確立することです。

そうすることにより、あなたは、見せかけやコントロール、収縮、抑制、幻影に基づいたアイデンティティ(自己認識)から、自分自身と人生そのものを自由にすることができるのです。「親和性(アフィニティ)の神聖なる流れ」(訳注「アフィニティ」は本書の原題)を通してこの体験へと向かう道が、あなたにはすでに開かれています。………




「親和性」=AFFINITYとは響きのある言葉だ。


再放送の「ドラゴンボール」を見ながら、「そう、よく楽しみながら毎週子供と一緒に見てたな」と思い出し、「ゴクウが良いのは、この素直さなんだよな」と、かつての自分の子供時代を思い出していた。大事なのは素直になれることだと、夏の暑さの中で強く思い出してもいた。


今日、長男と少しだけ話をして八幡宮に参拝してきた。飛騨の祖先の話も出来た。



私はプレアデスの光の存在に、自分の所に来てくれるように頼んだことがある。私の感じでは緑の髪の女性だった。アモラの新しい本の裏表紙の折り込みの所に、髪を緑にしたアモラの写真がある。


あまり人にはすすめられるような内容の本ではない。難解だし、『覚醒への道』や『人類と惑星の物語』の前提となる知識と実践が必要だからだ。


本屋さんにはたくさんの新書があったが、「ひふみ関連書」やスピリチュアル関係もあったが、私に迫るものはなかった。プレアデスの大天使アンラーが、新しい本の案内人である。


※ アンラー
プレアデスの光の大天使の種族に属し、エメラルドグリーンの光を発する存在。神聖なる慈愛と理解の守護者。


他にはシリウスの大天使ヘルメスからのチャネリングなどがある。興味を引かれずにはいられない。凄い内容の本だ。


「次の段階」はやはり、「自分でプレアデス式瞑想に真剣に取り組む」しかないようだ。「素直にならんとな」と思い始めた時に、「親和性」を言われた。「やはり…」と感じることは強い。


「次の段階……」
強い“意志”を感じる。それは「迫って」来ている。
ニックネーム 龍 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

こんな話


最近「シリウス革命」を書かれた半田広宣さんのブログを読んでいる。


私が素敵だなと思うのは、オコットからの理論よりはコウセンさんの人柄だ。理論の方は以前として馴染めないが、コウセンさんの人柄にはとても馴染める。


そう、人間は難しい仕事をやりながら馬鹿もあわせてやれる。特に、私なんかの「下町育ち」の男はそうでなければ嘘になる。


コウセンさんが奥様の留守中に「ウカレル」場面は笑った。いっぺんにファンになった。


ある大学の助教授の人と、子供の児童会で知り合いになった。哲学科の先生で、酒を飲む間柄になった。この人は、「あ〜、こんな自由な付き合いはいいなぁ〜」と言うような人で、嫁さん連中のザックバランな関係や男同士の飾りのない会話に感動してくれた。



「先生〜、これでも気苦労はあるんやで。わしなんかうつ病の薬のみながらやってんねんで」と言うと、急に眼鏡の中の目が真剣になって、「わかってました」と言った。


その訴えるような眼は、「私もそうです」と言っていた。外見は「ナマクラ」に見える先生は、本当は学問どおり繊細な感性をもっていたのだ。


彼の「わかってました」の意味は、人の気付かないところにまで気の行く私に、自分の同じ部分を重ねていたのだろう。


「あ〜、いいなぁ」と酒に酔い寝転ぶ彼の、ズボンの間からゴキブリが入った。「先生〜」と騒ぐが「何でもない。全然、問題じゃない」と、イビキをカイテ眠る。彼の内面に感じない人は、「外見どおりのコダワリのない人」に見えるだろうが、私は彼がひどく疲れていると思った。


彼も初めはネクタイをしめスーツを着ただろう。私は彼のようなタイプの精神科の主治医に世話になっていたから、何となくそんな頃の彼を想像できた。


「全然、問題じゃない」と言った彼の内面に、大きな問題があったことがわかる。


しかし、失礼な奴でもあった。「そんな狂気を持った人でもうつなんですね?」と変な理屈を言った。私のことを「狂気」をかねそなえた男と言ったわけだ。私は意地悪く言ってやった。


「先生、ホンマもんの狂気ならこっち(覚醒剤のこと)やで」。奴は何とも言えない顔をした。「そうや、アッチに行くかコッチで済むか、そんなもんやがな」と、私は言った。

「何も本質的に変わらんのやないか?」かれこれ十年以上前の会話だ。


こんな管理社会で、ヘドの出るような人間関係で、ギリギリ止まれただけの話かも続きを読む
ニックネーム 龍 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

追悼


シリウスの子よ 神よ
その日に神舞台をあらわされる方よ

私はあなたの一つ あなたが私であり 私は一つを生きている


御霊が還られました
その偉大なヒトは 立派にわが民族の祖先を遺し その生涯を終えられました


その御霊を その行いを 私はあなたにかわって誉め讃えなければなりません


この地上を守護されんとする全ての御霊よ
還られた方からわが民族の歴史を知られよ


わが民族は元の方よりこの地を任され 子孫代々にわたり使命を果たし 立派に生きて参りました


古つ事を大切にし 守り 立派に生きて参りました


国造りを使命とし 立派に生きて参りました

守護の御霊よ 多次元なる方々よ

我が民族の立派さを 永遠に記憶され 民族の守護霊共々 さらに加護あらんことを


神よ シリウスの子よ
黄金の龍の化身よ

全ての生を受けとめられる存在よ


わたしたちは 生きてつとめを立派に果たしましょう
ニックネーム 龍 at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

メッセージ


山本貴美子婦人によると思われる、『日本のルーツ飛騨』53頁にある「ヒルメムチ」様からのメッセージを転載します。


私はこの天照大神様の笑顔を伝えていきたいと思います。



先祖代々かたく約束を守り 義理かたく 人情あつく生きたのです


そして 明るい明日を開く為には 大変な苦労も苦労と思わずに
明るく 正しく 清らかに やりぬきました

こうして日本のもとが造られてきたのです



およそ世界で一番美しく 尊い 国造りであったと思います


子孫の皆さんの体の中には この美しい心が流れているのです


今 忘れられようとしている先祖の歴史を
日本中の皆さんに思い出してもらいたいのです


それが私 ヒルメムチの切なる願いです



※ 挿絵の天照大神様は笑っておられます。背景には「宮村指定文化財」カスミザクラが描かれ、後ろには位山があります。
ニックネーム 龍 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

何かが来てる……


ショックから少し立ちなおり中です。山本健造先生の死去ですが、『日本のルーツ飛騨』にある挿絵を見ていると、飛騨の祖先が明るく笑っていますので、「あ〜、天照大神も先生の活動をこのような笑顔で見ておられたのだろうな」と、私なりに先生の死去の意味をおさえてみました。


魂の記憶は、貴方や私が「浮かび来るもの」を脳で認識しないと、「連続性」となりません。


誰でも「浮かんで」きます。しかし、それを「気のせい」や「不思議」にしていますから、自分のものと認識出来ないでいます。


平たく言えば、脳に「解読回路」を置かないから迷うのだと思います。脳はある意味「鍛えなければ」いけない機能です。


赤ちゃんの頃はまだ脳が「未熟」で、外的なものの認識段階にあります。だんだんと脳がその機能をもって来る思春期の頃に、だいたいが「不思議」な体験を私たちはしています。


世間では「右から来たものを左に受け流す歌」が流行っていますが、私たちは何時までも「受け流さない」ようにしましょう。来たものをしっかりと認識し、精査し、判断して行きましょう。



その際に大切なのは、サティアが教えてくれたハートの作用だと思います。


「開かれた人」がたくさん出てきて、それぞれが今生における大事な視点を語ります。私もブログで語って来ました。


それぞれが微妙に異なっても、視点が少しづつずれていても、ハートを開いて最後は納める事は出来るはずです。だって、違いをいちいちあげていれば本当にきりがありませんから。


私たちが最後に何をもって勝利するのか、それこそが課題であり、その導きの導管がハート・チャクラなのだと思います。それは統合という言葉です。その言葉を生きることだと思います。


日本人としての言葉で言えば調和でしょう。祖先の道を歩く意味でしょう。


「次の段階」に入った地球に、やはり、プレアデスから新しい情報が届いたようです。アモラ・クァン・インが新しい本を与えてくれたようです。


『日本のルーツ飛騨』の天照大神は笑顔です。列島を熱で囲み、しばし台風からも離してくださいました。


私が「見た」祖先たちは、本当にこのような笑顔でした。山本健造先生に感謝致します。

さあ、国造りはまだまだ続きます。これからが正念場です。新しい情報を求めに本屋さんに行ってまいります。

ありがとうございます。
ニックネーム 龍 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月20日

翁との約束果たす


山本も七十歳を超え、ボンヤリしていたある日、まるで白髪老翁が語りかけてくるような霊感を覚え、若い時翁から真剣に頼まれたことが鮮明によみがえってくるのでした。それから白髪老翁から聞いた記憶をたどりながら五年間実地調査をしました。………『明らかにされた神武以前』まえがきより


※ 私はあまり夢を見ません。しかし、映像はよく浮かびます。

昨日の昼には空から急に下降し、険しい雪の残る山々が見えました。

昼寝をしていましたが、あまりに鮮明な画像だったために気になっていました。意識は確かにありましたから、夢ではないことは確かめられていました。


あの山々が淡山(乗鞍岳)だと気づき、夜中に「山本健造」と打ち込んだら先生の亡くなられた新聞記事が出てきました。


きっと、知らせて頂いたのでしょう。乗鞍全体を見て下降したのでした。今、言葉が見当たりません。何かを書かなければと思うのですが…………。


今少し休みます。
残暑厳しき時であります。皆様もご自愛くださいませ。
ニックネーム 龍 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

古代皇統の系図


〇 思兼(おもいかねノ)命(みこと)
天照大神


※ お二人には五人の男子と三人の女子がお生まれになりました。


〇 天苔卑(あめノほひノ)命(みこと)
出雲に行かれました。

〇 天津日子根(あまつひこねノ)命(みこと)

*大河内命、額田部命、滝知命、三枝部命

*茨木命、田中直命、高市命

* 山城命、馬来田命、稲寸命

* 岐閥命、周防命



〇 活津日子根(いくつひこねノ)命(みこと)
新潟へ行かれました。

〇 熊野久須毘(くまのくすびノ)命(みこと)
出雲へ行かれました。


〇 天忍穂耳(あめノおしほみみノ)命(みこと)

* ニギハヤヒ命
奈良大和のトミヤ姫命と結婚され、ウマシマヂノ命を生まれ、子孫は物部連(モノベムラジ)、穂積臣(ホズミノオオミ)、ウネベ臣となりました。


* 天火明(あめノほあかりノ)命(みこと)
飛騨に残られました。

* ニニギノ命
木花咲耶姫と結婚され、ウガヤフキアエズノ命を生まれ、ウガヤフキアエズノ命と塩土(シオツチノ)翁(コジ)の玉依(タマヨリ)姫が結婚され、サヌ命(後の神武天皇)を生まれます。



* 多紀理姫(タキリヒメ)命(みこと)
出雲の大国主に嫁ぎ、アジスキタカヒコネノ命(加茂命)と下照姫(シタテルヒメ)を生まれます。後に大国主の浮気に嫌気がさし、飛騨に戻られます。


* イチキシマ姫命

* タキツ姫命



※ 以上の系図は、『明らかにされた神武以前』の11〜12頁からの転載です。


山本健造先生は、日本民族の尊い祖先の歴史を継承された民族の恩人であります。


改めて深く感謝申し上げます。
ニックネーム 龍 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

真実と推定される系図


大淡(おおあわノ)上方様(うわかたさま)


※ 三人の子供がありました。


〇 直系(まっすぐノ)命(みこと)……
淡上方様(あわノうわかたさま)………
イザ(ひだ)ナギ………
天照大神



〇 山下住(やましたずみ)水分(みくわりノ)命(みこと)………
大山祇(おおやまずみノ)命(みこと)………
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)



〇 山本住(やまもとずみノ)命(みこと)………
猿田彦(さるたひこノ)命(みこと)
ニックネーム 龍 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

お知らせ

山本健造先生は七日午前六時、岐阜県高山市の病院にて老衰のためお亡くなりになりました。94歳でした。
ニックネーム 龍 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月03日

生命の流れを阻害する電磁秘密兵器


宇宙、地球、生命、全ての流れに逆行する、電磁秘密兵器に最大の関心を!


地球の「発動」を意図的に誘発する、混乱と恐怖をわれわれに植え付けようとする、電磁秘密兵器に最大の関心を!


この悪魔の殺戮兵器を生み出した「文明」を総点検し、そこから出ることなしに「未来」はないと理解し、最大の関心を!
ニックネーム 龍 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

正流と外流の交差


まだまだ台風五号については油断はできないが、「地から」出る正流は常に台風の勢力を弱めてくれる。


「地から(チカラ)」の正流は、時計回りに動く渦であり外流の左回りを消滅させるチカラを持つ。生(キ)のエネルギーは本来「方向性」など持たないが、「違う」チカラには反応する。


正流はチャクラの渦の如き回転を成し、これを今日では常に「攻撃」している作用を持つのが「電気」である。「電気」はチャクラの回転の逆を回る。


キ(生)のエネルギーに「方向づけ」を行うのが「奴ら」のやり方である。生(キ)のエネルギーたる精霊は、悉く隠れてはいるが、こういう時に偉大なチカラを発揮している。


列島大地は精霊のオーラに保たれており、我が列島は、地からうなりをあげて、外流に反応しているのである。

これが、いわゆる「神仕組み」であり、地から出る生(キ)のエネルギーは、外流を取り込んで消滅させるチカラである。


列島内部の「水」が動き「熱」が発動する。「水が熱を生む」。
ニックネーム 龍 at 15:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2007年08月02日

あるHPのご紹介


飛騨の古い言葉を検索していたら、興味あるHPに出会いました。

「大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム」というところで、この中に「ポリネシア語で解く日本の地名、日本の古典、日本語の語源」というセクションがあります。


興味ある方は参考にされたらどうでしょうか。
ニックネーム 龍 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

太平洋の人たち


ハワイと言わずミクロネシアと言わず、海の島々の原住民は、カップクの良い人々だ。


島時間の中で、気ぜわしなく生きる日本人から見れば、冒険のような漁、静かな女たちの家事があるように見える。


あるモノで暮らしを保つということは、恵まれた自然と生きるということだ。あのカップクの良さは、落ち着きからもたらされるのか。


みんな目の大きな黒髪の人々だ。そんな流れを九州地方の人々に見ることが出来る。


「海幸彦」「山幸彦」が、一方はインド辺りの民、一方は沖縄経由フィリピン経由の太平洋の島々の民と見るのは、まだまだ無理があるか?


鹿児島から日本に広まった民、長崎福岡から日本に広まった民、いずれにしても九州は、日本列島の世界への玄関には違いない。


そして二つの民族を日本人として迎えたのが、飛騨高天原天孫族であったこと。故に、二つの民族の人々は、永く天孫族と共に行動したこと。


これら二つの民族の子孫は、共に肌の色が黒いということ。背が高く、またカップクが良いということ。
ニックネーム 龍 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記